白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2007年12月03日(月) 自分の居場所

週末は元職場の同僚がお祝いを持って遊びに来てくれた。

来てくれたのはCADの相棒と、事務職のTさん。CADの相棒は私が妊娠中、切迫流産で安静にしていた時期に乳癌で片方の胸を切除する手術を受けている。彼女の乳癌が発覚したのと同時期に、私は切迫流産になってしまったものだから、彼女の為になんの助力も出来ず、今までメールや電話だけでのやりとりだった。なので彼女が胸を切除してから4ヶ月ぶりの再会。正直なところ、最初になんて言葉をかけたものか緊張していたのだけど、結局のところ「いつも通りにしていよう」ってところに落ち着いた。

CADの相棒は私が想像していた以上に元気になっていた。そりゃぁ、心の中では色々あっただろうけれど、仕事にも復帰して充実した生活を送っているとのことで心底安心した。

一方、事務職のTさんは私が安静生活中、職場に置去りにした荷物を持ってきてくれたり、それ以外にも何度か様子を見に来てくれたりしていて、足を向けて眠れないくらいにお世話になった人である。が、彼女は仕事が忙し過ぎて可哀想なくらいズタボロに疲れていた。今まで私は彼女の愚痴聞き役だったのだけど、それも出来なくなってストレスが溜まっているとのこと。仕事も大事だけれど、それ以上に身体を大事にして欲しいと切実に思った。

職場の人達は相変わらずの激務で大変そうだけれど、仕事の話を聞いていると懐かしいと言うか、今でも、そこに所属しているかのような錯覚に陥ってしまった。辞め方が急で送別会どころか挨拶もしていないせいか「白蓮さんって、まだ辞めた気しないんですよねぇ」と言われているらしい。

私はあの職場が大好きだったし、仕事にも誇りを持っていたので、同僚達に会ったら「また働きたい。外に出て仕事したい」と思ってしまうんじゃないかと、内心では心配していたのだけれど、以外にもそんな事は欠片も思わなかった。同僚達の話は懐かしかったけれど、むしろ「あそこはもう、自分の居場所じゃないんだなぁ」と思った。

私の居場所は夫と娘のいる我が家なのだなぁ。

専業主婦を「働いている」と定義して良いかどうか…と言う問題はさて置き、私が成すべき仕事は「育児と家事」なのだと再確認した次第。いつかまた、賃金労働に返り咲く時もあるだろうけれど、今の私が大切にするべき事ではないようだ。

それにしても週末は懐かしい人達の話が聞けて本当に楽しかった。年明けには別の面子が遊びに来てくれるとのこと。職場を辞めても、こうやって訪ねて来てくれる人がいるのはありがたい事だ。職場の人達が健康で無事に年末年始を過ごせるように祈りつつ、私も自分の成すべき事を頑張るぞ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2006年12月03日(日) やめられない。とまらない。
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2001年12月03日(月) アルコールの季節♪

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