昨日は検診の結果が思わしく無くて目一杯凹んでいたのだけれど、1日、1人で悶々と考えていたら、すっかり気持ちが落ち着いた。安静生活に入ってからノートに書き続けている安静日記最初から読んでみて、自分が贅沢になり過ぎている事に気が付いたのだ。
医師から安静生活を言い渡されたばかりの頃は小さくても、身体弱くてもいいから、とにかく生きて出てきてくれたら充分」と思っていた。早産で小さく生まれてきた子は何かとトラブルが多くて大変だって事は承知していたけど、そんな事は親になる私達夫婦が頑張れば良いことなのだ……と。
安静生活に入ってしばらくは「○日まで頑張ってくれたら生存率がここまで上がる」とか「○グラムまで育ってくれたら、低体重でも大抵は生きられるらしい」とか、毎日そんな事を夫と話していたものだ。
しかし、いつの間にか目標は、すり変わっていたらしい。「小さくても、身体弱くてもいいから、とにかく生きて出てきてくれたら充分」と言う慎ましい願いから「標準的な重さの赤ん坊を標準的な時期に出産する」と言うマニュアル的な欲望へ。
安静生活が始まった頃の私が今の状況を見たら、どんなに羨ましがるだろう。出産に「絶対大丈夫」と言う保証は存在しないけれど、いまの時点で早産したとしても、お腹の娘はまずまず生きていけるはずなのだ。
知らないうちに欲が深くなっていたのだなぁ。……反省。
「出来るだけ良い状態で産んであげたい」と言うのは当然の思いではあるけど、生まれても無事に育つ大きさまで頑張って育ってくれたのだ。あまり標準値を気にし過ぎずに、のびり構えていていようと思う。
娘との対面を楽しみにしつつ、残りの妊娠生活はゆるゆるした気持ちで過ごしたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。