今日は駅の駐輪場に自転車を置き去りにして帰ってきてしっまった。
今朝はいつも通りの時間に起きたのに、どうしたものだか朝食やら出勤準備やらにモタモタしてしまったので最寄駅まで自転車で出掛けたのだ。なので帰りも自転車に乗らなければいけないのに自転車を置き去りにして歩いて帰ってきてしまった。昨日から、ずっと空回りばかりしている。
月曜日は乙女な母が総合病院で検査をしてもらう…とのことだったので、帰宅してすぐに電話をかけたのだが、どうやら心配するほどの事ではなかったらしい。乙女な母は悪びれる様子もなく「心配かけて悪かったわねぇ」と、しれっとしていた。思えば、独身時代にも同じようなシュチュエーションで振り回された記憶が。酷く脱力したけれど、何事もなくて良かった。「週末にあれこれ動いたり、愚弟に軽く釘を刺したりといった私の労力を返してくれ!」などとケチ臭い事など言いますまい。無事で何より。
季節の変わり目で体調がパッとしないせいか、昨日から今日にかけて生活面での小さな失敗がやたらと多い。仕事にまで侵蝕していないのは不幸中の幸い。自分では気付かなかったけれど、けっこう草臥れていたのか昨夜は湿疹に悩まされた。一晩でおさまってくれたのは、これまた不幸中の幸い。
昨日は日記を書く余力が無くて書けなかったのだけど嬉しい報せもあったのだ。友人が絵画展で入賞したとのこと。昨年も入賞だったので、嬉しい反面ちっょとガッカリしているらしいけれど、実は私も「もしかしたら、今年は…」なんて思っていたので、遠く大阪の空の下でちょっとガッカリした。
人間はどうして「もっと・もっと」と思ってしまうのだろう。たとえば……。恋をしていない時は「誰かを好きになれたらいいなぁ。好きな人がいるだけでどんなに素敵だろう」と思うのに、好きな人が出来たら「ちょっとでも親しくなりたい」と思う。親しくなったらなったで「自分の想いが通じたらいいなぁ」と願い、想いが通じたとしても「もっと・もっと」と思ってしまって、その気持ちは留まることを知らない。
「もっと・もっと」と思うのが人間らしいとも言えるし、「いまの幸せに感謝して生きる」のも大切だとも言える。感謝しなくちゃいけないと頭で理解していても、なかなかそうはいかないところが人間臭さなのかも知れない。
空回りしている時は何をやっても上手くいかないと相場が決まっているので、自転車は駅の駐輪場に置き去りしたままで、明日引取ることにした。今日は夫の帰りが遅そうなので、食事の前に入浴をすませて、ゆっくり過ごさせてもらうことにする。夕食の時に発泡酒でも飲んで、ぐっすり寝るとしようかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。