白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2006年04月26日(水) スペイン道中【セビリア後半〜セマナ・サンタの夜】

スペインの夜は長い。

午後8時を過ぎてもガンガンにお日様が昇っている。夜の帳が降りるのは午後9時を過ぎてのこと。フラメンコのディナーショーを鑑賞して、私達夫婦がセビリヤの街へ繰り出したのは午後8時半を回った頃だった。ちなみにフラメンコショーは私の心を鷲掴みにすることは出来なかった。「食事とショー」という設定が私には合わなかったらしい。舞台でダンサーが熱演していても、珍しい料理が運ばれてくると、そちらに気をとられてしまっていたから。ちなみに、その日の料理は地元色が強かったせいか、ツアーの面々には評判が悪かった。私は結構イケると思ったのだけど。

セビリアの街は『セマナ・サンタ』の真っ最中。人ごみを掻き分けるようにして、行列(プロセシオン)が練り歩く通りを目指した。行列の近くへ行くのは無理だろうなぁ……と半ば諦めていたのだけれど、難なく間近で見ることが出来たのは神様の粋なお計らい。まるで悪の秘密結社の人のような三角帽子を被った人達が、どうして顔を覆っているかというと、三角帽子の下で神に懺悔しているとのこと。蝋燭の光に包まれた山車がゆっくりと進んでいく様は荘厳だった。三角帽の人、楽団の人、一般の信者さん……と行列は続く。セビリヤの人は明け方までそんなことをしているのだ。

しかし日本人の私達夫婦は、そこそこに行列を鑑賞して撤退することにした。いっとう賑やかな通りを抜けてタクシーを捜したのだが、なかなか見つからずに難儀した。そんな中、メインストリートを抜けて教区に帰って行く山車を発見。ゆっくりと歩いていたので近寄ってみたら、三角帽子を被っているのは大人だけでなく子供の姿もあり、どうやら写真撮影は許されているようだったので三角帽子を被った子供が歩いている姿を写真に撮らせてもらったら……なんと、三角帽子の子供が近づいてきて、イエスの像が印刷された1枚のカードを私にくれた。どうして、そんな物をくれたのかはサッパリ分からなかったけれど、お礼を言ったら三角帽子の子供はコクリと頷いて、ふたたび行列へと帰って行った。

どうにかタクシーを捕まえてホテルに戻ったのだが、街に出る前に頼んでいたトイレの修理は出来ていなかった。腹が立つよりもむしろ「そうだよねぇ。祭りの日に働きたくはないよねぇ」と、半ば納得してしまった。その日はスーパーの袋に水を入れて手動でトイレの水を流したが、そんなの大した問題ぢゃなかった……と言うのも、隣の部屋の新婚さんが大喧嘩をはじめて3時間以上、泣き喚いて大騒ぎしていた方がよほど大変だったのだ。

翌朝、地元セビリアのテレビ番組を観ていたら『セマナ・サンタにハマっているチビッコ大集合』のようなコーナーで、聖者の像を印刷したカードをお菓子の空き箱にドッサリ入れた男の子が得意げな顔で出演していた。日本だと、ビックリマンだのポケモンだののカードを集める感覚なのだろう。私が三角帽子の子供から仲間だと思われたらしい。嬉しいような嬉しくないような。まぁ、やっぱり嬉しかったな……ってことでセビリアの思い出はここまで。グラナダ、マドリードと道行は続くのだけど、今日の旅日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2004年04月26日(月) 闇夜の花水木。
2003年04月26日(土) リハビリとデジカメと。
2002年04月26日(金) データ喪失。茫然自失。

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