「年を取ると涙もろくなる」って言うのは年寄りの感傷だと思っていた。
なので徳光和夫や西田敏行がテレビの向こう側で、なにかというと号泣しているのを見ても「演技なんだろうなぁ」ずっと思っていた。が、最近彼らの姿を笑えない。ここ数年、涙腺のゆるみに加速がついて、ちょっとしたことでも泣けてしまう自分がいるのだ。
もっとも泣くと言っても実生活で涙することは、まずない。テレビや映画、本といったバーチャルな形で受信したものに対して涙するのだ。活字よりも映像がヤバイらしくて「はじめてのおつかい」みたいな番組でも、うっかり泣いてしまうことが多々ある。
バーチャルなものと言っても何でも泣ける訳ではない。悲恋ものでは、あまり泣かないし、お涙物の定番「別れた家族とのご対面」も大丈夫。だが「ひたむきさ」を前面に出してくる映像は無条件で駄目みたいだ。
「はじめてのおつかい」に限らず「廃部寸前のクラブを存続させようと奮闘する高校生達の日々」とか「縁の下の力持ちをクローズアップ」なんて物に弱いのだ。今日は更衣室での昼食時にかかっていた番組で8歳の少女がパティシエ体験をする……というコーナーがあり、少女のキラキラした瞳を見ていたら「ああ。なんてひたむきな瞳なんだろう」と思うと胸が熱くなって泣きそうになってしまった。(←辛うじて耐えたが)そんな些細なことで熱くなってしまうだなんて、これでは先が思いやられる。
32歳で涙腺がこんなにゆるいってことは、40代、50代になったらどうなるのだろう……考えるだに恐ろしい。徳光和夫や西田敏行を笑っている場合ではない。
そりゃ、そうと。自分以外の人の涙のツボは、どうなっているんだろう。
ちょっと聞いてみたい気がする。たぶんそれぞれに「私のツボはこれだ」ってのがあるんぢゃなかろうか。それとも、いい大人はそんなにピーピー泣くものではないのだろうか。実生活で泣いてしまう派の人もいる訳でだから、そうなってくると単純な分類では済まないだろうし、その辺の仕組みは、ちょっと気になる。
ふと気になったことを書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。