世の中は善意で満ち満ちている……と言いたいところだが、悪意の方が多いんぢゃないかと思う。大江健三郎が子供向けに書いた随筆の中に「悪意と立ち向かう勇気」の話があったように思うが、どうだっただろう。
今日は思いがけず人の悪意に触れた。それは私に対して向けられたものではなかったので、私自身は痛くも痒くもなかったのだが、悪意を受け止めるというのは決して気分の良いものではない。それどころかムカつきさえする。
人間、そうそう綺麗ごとでは生きられないし、清潔過ぎる人ってのも気味が悪くていただけない。心の中でどんなに汚いことを思っていたって、それはアリだと思うのだが「悪意を周囲に振りまくんぢゃないよ」と思う。だいたいからして悪意を受け止めるというのは、とても草臥れる。それが理論的に正しいことであろうが、なかろうが「悪意」というエッセンスが入っただけで遠慮申し上げたい感じだ。
本当は。いちいち気にするのが馬鹿なんだと思う。受け流す技術。あるいは受け止める頑丈さを身につけなければ。自分で、自分のことをタフな性質だと思っていたけれど、まだまだ惰弱なのだろうなぁ。自分とは関係のない話にまで反応する必要なんてなかったのに。
人を貶めたり、侮蔑したり、攻撃したりということは、一種の自己防衛なのだろうかなぁ。ふと有吉佐和子の『非色』を読みたくなってしまった。あれは差別の根本を探る話だったが、通じるところがあるような。
週のはじめから生真面目一直線な話を書いてしまったが、生活はホニャララしている。ちょっとシャキッとしなければいかんなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。