白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年05月15日(土) 浅ましい話だが、しかし。

昨日は乙女な母の通院日だった。乙女な母が禁酒を思い立ったのはいつだったか覚えていないが、とにかく定期的に通院して薬を服用しているわけだが、これからはそれに合わせて週3回の注射が加わる。どんな病気でもそうなのだろうが自分自身が「あっ。ヤバイかも」と思った時は、すでにかなり進んでいたりするらしい。

一昨日まで読んでいた小説『OUT』の中にヤバイ仕事を引き受けようとする女が「のどから手が出るほど金が欲しいんだよ」と言っていたけれど、私も同じ気持ちだ。

自分の身の回りに長期療養者がいない人や、実際にそういう人と接していても金銭面ではノータッチの人にはイマイチピンとこないかも知れないが、長期療養だの入院だのという治療には、当たり前だがお金が掛かる。時代劇の世界ではないので「お父っつぁんに薬を飲ませてやりたいので身売りしました」なんてことのないよう、高額療養費制度など用意されているので、どうにかやっていけるだろうが、それでも厳しいことには違いない。

愚弟の時は労災で医療費だけは無料だったので随分助かったが、父の時は大変だった。過去の経験上、乙女な母の病状よりも、むしろ資金が気に掛かる。派遣のCADオペの稼ぎなど、たかだか知れているしなぁ。「お金が欲しい」なんてことばかり書いていると、金の亡者みたいだけど「金の成る木はあるまいか」なんてことを真剣に考えてしまう。もちろん全く蓄えがない訳でもないのだけれど、ある程度先が見えているだけになぁ。

浅ましい話だけど、私と乙女な母を引き受けてくれる経済力のある人が現れたら、どんなに年寄りだろうと変な人だろうと喜んで結婚してしまいそうだ。ネットで募集でもかけてみるか……なんて。贅沢な暮らしがしたいんぢゃあない。安心して暮らせる経済力が欲しいのだ。経済力というのは、もちろんお金のことである。

ぶっちゃけ。頑張るのはもう嫌なのだ。頑張りたくないのだ。地味でもいいから、ゆるゆると暮らしたいのだ。「私って駄目よねぇ。最終的には夫(親でも可)に頼りっきりだしね」とか、そういう言葉を言ってみたいんである。頑張屋さんだとか、しっかりしてるとか言われるのは、もう沢山だぁぁ。

……と。いつになく弱気モードである。ちょっと頭を冷やしてこよう。これ以上書いていても湿っぽくなるだけなので今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年05月15日(水) 昨日と今日。気を取り直して明日。

白蓮 |MAILHP