「遠慮の塊」という言葉が共通語では無いらしいということを知って驚いた。
私が暮らしている関西地方では複数名(三名以上)で食事をしていて、不味くて残っているんぢゃないけど、なんとなく遠慮がちに残っている最後の1個をのことを「遠慮の塊」と呼ぶならわしがある。幼い頃から当然のように使っていたが、関東出身のKさんがそれを知らないということが判明して「どうやら共通語ではないらしい」ということに気付いたのである。
「遠慮の塊」は「食べ残し」とは微妙に違うニュアンスがあり、どちらかというと肯定的に使われることかせ多い。わざわざそういう名前を付けているあたりは、食道楽が多い関西ならでは言葉なのかも知れない。
食事の場に「遠慮の塊」が出現した場合、そのテーブルで「その食べ物を好物だと思っている人」もしくは「最年少男子」に「遠慮の塊を食べちゃってね」と年長者から指令されるケースが多い。そういう場合は「遠慮なくいただきます」と美味しくいただくのがベターである。本気で食べたくない場合は仕方ないが、遠慮の塊は「ほんの一口」であるからして「ちょっとお腹いっぱいなんだなぁ」ってくらいなら、食べておくのが礼儀である。
また「誰も食べないなら最後の1個は自分が食べたいなぁ」と思っている場合は「遠慮の塊、食べちゃってもいいですか?」と聞いてみるといい。まずまちがいなく「どうぞ食べちゃって」となるはずだ。もし、その場面で「えー。俺(私)も狙ってたのになぁ」という人がいても、その人に場の空気を読めていない人というレッテルが貼られるだけで「食べたい」と最初に意思表示した人に、非難の目が集まることは、まずもってない。
……てなことをKさんに説明しながら、関西は「ざっくばらんな人付き合い」が尊重されていると思われているが、案外と湿度の高いルールが存在するよな気がした。京都のそれとはまた違った感じではあるが、サバけているとも思えない。「ボケ・突っ込みが出来ないと駄目」なんてのも関西の閉塞性だと思う。もっとも本当に大らかで懐の広い関西人はボケ・ツッコミのできない人をいじりつつ、場に馴染ませていくだけの器量があったりする訳だが。
結局のところ、どの土地でも人付き合いの妙というのは、どこまで出して、どの辺を隠していくか……ということの終始するのかも知れない。
そんなこんなを書きつつ明日からの生活を思うと、ちょっと気が思い。本当ぱ「長期休暇の総括」になるような日記を書く予定だったのだけど、ついうっかり別のことを書いてしまった。こうやって、今年も「つい、うっかり」なことばかり書いて過ごしてしまうような予感満載。ああ。なんだか……
さてと気を取り直して、明日からまた頑張って働きましょうかねぇ。休みの間はずしていた万歩計も装着して、通常生活に戻らなくちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。