白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年08月01日(金) 1枚、1通、1本の価値。

昨日、遠くで暮らす友人からプレゼントが届いた。

帰宅したらばPC机の上に、茶色い封筒が乗っていたのをチラリと確認しただけで彼女からの送られてきたものだとピンときた。私に予知能力があって「ぢつは荷物が届くような気がしてたんだぁ」ってな訳ではなくて、茶色い封筒は彼女の人柄を偲ばせるような、丁寧さが見られたからである。たかだか茶封筒といっても、差出人によって個性が出てくるのだから不思議だ。ちみなに私はラッピングとかいう類のことは、とんと苦手で、手紙にしろ贈り物にしろ、雑然と送ってしまっているのだが、これは改めた方が良いだろうなぁ。うむうむ。

茶封筒の中身はグラデーションブルーの包みが1つ。包みをあけると大好きな「きたのじゅんこ」のポストカードと、青を基にしたビーズのネックレスが入っていた。しかもネックレスは手造りとのこと。密かに「こんなの欲しいなぁ」と思っていたタイプのデザインでどうして、こんなにバッチリ好みが分かっちゃうんだろう?」と吃驚すると同時に、恐ろしく多忙な人なのに手造りしてくれたってことに感激した。

心から、ありがとう。嬉しかったです。

しかし、なんだなぁ。こんな風に心遣いを受けると、自分自身について思い返さずにはいられない。私は私の大切な人を粗末に扱ってやしないかと、ふと心配になったりする。もっと、もっと色々なことが出来るような気がする。もっと、もっと色々なことを語り合えるような気がする。

1枚のハガキ。1通のメール。1本の電話。

こういう手間を惜しんではいけない。たとえ単位は小さくたって、それらは価値のある「1つ」なんだなぁ。自分の心の内だけで、あ〜だ、こ〜だ思っていても何の訳にも立ちはしないのだし。自分が嬉しかったことは、大切な人に返していけるようにしたいなぁ。私の友人は自慢できる人間ばかりだ。よく出来た人も、そうでない人もいるが、それでも良いヤツばっかりだ。

なんとなく「頑張れないかも」って気分の時に、こういう贈り物は心に染みる。私は、つくづく幸せ者だなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年08月01日(木) 夏でござる。

白蓮 |MAILHP