白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年06月18日(水) 瓶入りの牛乳

近所の牛乳屋さんが試供品を置いていった。

スタンダードな牛乳が1本。豆乳が1本。ヨーグルトドリンクが1本。
残念ながら、我が家は宅配牛乳を頼むつもりはないと言ったのだけど
それでもいいから、せめて味の感想だけでを……とて、半ば強引に。

そんな訳で今朝は久しぶりに瓶に入った牛乳を飲んだ。
いつもは牛乳はカフェオレかミルクティにして飲むのだけれど
今朝は瓶入り牛乳に敬意を表して、瓶の口からゴキュゴキュと飲ませてもらった。
やっぱり瓶に入った牛乳は美味しいなぁ。
スーパーに並んでいる牛乳と、牛乳屋さんの牛乳は質が違うと聞くけれど
確かに味が違う。牛乳屋さんの牛乳はスーパーのよりも値段が高いが
その値段の分だけ、ちゃんと美味しいんだなぁ……としみじみ思った。

が。やはり牛乳を取ろうとは思わないのだ。

我が家も一時期、牛乳を取っていたことがあるのだが
毎日配達される「お仕着せ感」が、どうにもなじめずに
牛乳の配達を頼まなかった頃よりも、牛乳を飲まなくなってしまったのだ。
スーパーの牛乳よりも、ずっと美味しいのに……である。
予防策として、毎日配達ではなくて2日に1回にしてもらったりしたが
それでも牛乳の消費は一向に増えなかった。
「飲まなければならない」となると、とたんに飲みたくなくなるようだ。

牛乳が高価な飲み物だった時代に生まれた人にとっては
「高価な飲み物が毎朝家に届く」というトキメキ感があったのかも知れないが
「牛乳は紙パックで売っているもの」という認識しかない上に
なんでも簡単に手に入る時代に生まれた人間にとっては
「毎日家に届く」ということに、さほど必要性を感じないのだ。

瓶入りの牛乳とか、木製の牛乳箱とか、牛乳屋さんの佇まいとか
そういう物にノスタルジーは感じるし、なくなってしまうのはサミシイと思うのに
それでも牛乳を配達してもらおうという気にはならないのだ。
牛乳屋さんの経営って大変なんだろうなぁ……とは思うのだけど。
「美味しかったけど、やっぱりいらないよ」と呟きつつ牛乳瓶を洗った。

毎日配達されるのはウンザリだが、たまに買ってもいいかも知れない
……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年06月18日(火) 生きていくために必要なもの。

白蓮 |MAILHP