白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年06月18日(火) 生きていくために必要なもの。

人が人として生きていくために必要なものなんて
ほんの、ちょびっとしか無いんだなぁ……と思う。

たとえ、それが、どんなに執着していたとしても
それが無くなったからって、死んぢゃう…なんてモノは
それほど沢山あるもんぢゃないよなぁ……と思う。

私は……不幸自慢をする訳ではないけれど
引越しのたびに家が小さくなっていった…という経緯をたどってきたからか
物質的な執着というのは、あまり持っていない。
捨てていかなければ、生きていけなかったので
「惜しみなく捨てる」というのが得意技だったりする。
なんてったって、前回の引越しでは
「卒業アルバム」なんかも惜しげなく捨てたし。
↑友人の間では、そうとう顰蹙を買ったエピソードだったりする。
狭い日本の世知辛い住宅事情において「モノを持つ」ということは
ちょっとした贅沢ではなかろうか……と思う。

そんな訳で、私は一般的な女性に較べると「モノ」を持っていないようだ。
服にしても、鞄にしても、思い出の品にしても……
執着も強くないのが救いだが、小ザッパリし過ぎているのは
ちょっとサミシイように思ったりもする。
人は合理的には生きられないものだから……

だから……
執着しているモノがあったりするのが人間らしい……ってな訳で。
私は卒業アルバムさえ容赦なく捨てる女だが
どうしても捨て難いモノがあっりする。
本が……本が捨てられないんである。
捨てられないと言っても、引越しの度に相当な数を処分してきたし
1年に何回か、定期的に処分することだってある。
しかし、ここのところ忙しさにかまけて本の整理をおこたっていたらば
机ま周囲が、とんでもないことになってしまった。
容赦なく本が山積みされている中てPCが埋まっている……ってな感じ。

身の回りが散らかっていると心が荒んでくるので
今日は仕方なく本の片付けをした。
「やっぱり処分していくしかないよね」と思いつつ
1冊、1冊を手にとったのだが、どうしたものだか
今回は「エイ。ヤァッ」と思い切ることができなかった。
だからといって、そのままにしておく余裕はなかったので……
100円ショップへ駆け込んで店頭に並んでいた
「文庫本収納袋」を12個ばかり買い占めてきた。
↑ビニールのバックで文庫本が20冊くらい入る。

とりあえず、文庫本を袋詰めにして、本棚と天井の隙間に並べてみた。
……なんか、イイ感じかも♪
身の周りもスッキリしたし、気分も晴れやかな感じだった。
「文庫本収納袋」は、まだ足りない感じだが、買い足していけば良いのだ。
ひと仕事を終え、満足した私に愚弟が言った。

嬉しそうにしてるけど……でも…本の数が減った訳ぢゃないよな……

たぶん、私は、とんでもない勘違いをしているのだと思う。
人が人として生きていくために必要なものなんて
ほんの、ちょびっとしか無いのだ……本がなくたって生きていけるはず。
なのに……それなのに私は……私は……

人の心の不条理を噛み締めつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。

<追記>
卒業アルバムを捨てたのは1冊でも多く本を持っていたかったから。
どこか…人として間違っているような気がしなくもない。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】

白蓮 |MAILHP