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2024年05月11日(土) ■ |
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彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』 |
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彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
フォーティンブラスの進軍を遠景に見るハムレットのシーンは作中最も好きな箇所なのだが、その後の独白がこんなに胸に迫ったのは初めてだった。音楽の力を借りず、衣裳の力を借りず。言葉、言葉、言葉だけで。
寂しさの在り処を知っている、孤独を愛するハムレットだった。そう見えた。この作品で、タイトルロールの人物にここ迄惹かれたことは過去ないかも知れない。観客は作中の民衆でもある。民衆がハムレットを敬愛し、クローディアスに不信感を抱く感覚を共有出来る。だが、民衆は城内で起こっていることを知らない。ハムレットがどんなに残酷な人物かを知らない。一方、観客には神の視点が与えられている。快活だった王子が変わり果て、自分の愛するものを悉く死に追いやってしまったことを目撃する。
しかしそれでもなお、観客は彼に惹かれてしまう。
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芸術監督に吉田鋼太郎を迎え、彩の国シェイクスピア・シリーズが「2nd」としてスタート。訳は小田島雄志版で、吉田さんが上演台本と演出を手掛ける。剪定された台詞群とミニマルな舞台美術(杉山至)に、思い切りと活きのよさ。音響(井上正弘)もミニマルで、“言葉、言葉、言葉”のバックグラウンドに流れる音楽は、香水のようにさりげなく、しかししっかりとその痕跡を残す。演者の美しさを引き立てる、バランスが良く機能性の高い衣裳(紅林美帆)と、そのシルエットを追う照明(原田保)も印象深い。さい芸大ホールの特徴である舞台の奥行きも活かされており、スモークが流れるほぼ素の舞台の奥から亡霊が現れる場面は、まさに「霧のなかから忽然と浮かび上がった」ように見えた。
“2nd”ならではのカラーとしては、台詞の扱いとキャスティングだろうか。長年シェイクスピア作品の舞台に立ち、台詞を口にしてきた吉田さんの手腕が光る。上演台本は中だるみがないスピード感あふれる構成になっており、話し言葉も明瞭。翻訳調子を違和感なく聴かせ、観客の理解と感銘を引き出す。オフィーリアが配るさまざまな草花も、それぞれの花言葉を語る台詞を信じているからこそ、象徴的に花束をミモザに統一したのではないだろうか。舞台で扱われる花はミモザのみ。他には王妃の部屋、幕切れに登場する。ちなみに黄色いミモザの花言葉は「秘密の恋」だが、これが白いミモザになると「死に勝る愛情」なのだという。なかなか意味深。美術の方のアイディアかもしれないが、このことを吉田さんが知った上でミモザをチョイスしたのであれば、ちょっと素敵な話でもある(と、ここ迄書いといてミモザに似た違う品種だったらどうしよう・笑)。
用意された場がミニマルな分、演者の言葉と身体が際立つ。言葉のやり取り、身のこなし。これらのリズム、テンポが素晴らしい。特にハムレットと亡霊、ハムレットとポローニアス、ハムレットとクローディアスのやりとりが見事で、ああいえばこういう的な演出によってシリアスにもコミカルにもなる台詞の応酬が、いい塩梅でシリアスとコミカルの両方に揺れる。心の中で拍手したのはハムレットと正名僕蔵演じるポローニアスの、「魚屋だろう」からのやりとりや「あの雲は〜」からのシーン。支離滅裂なハムレットの言葉にポローニアスが会話を合わせていくのだが、そのリズムとスピードが抜群。途中からキレ気味になってきて観客を笑わせる余裕もある。とにかく台詞が巧い。正名さんは墓掘りも演じていたが、人間の愚かさとしたたかさを悲哀とおかしみに転ずる瞬発力、それを破綻させず語り切る持久力に感嘆した。かなり早口の台詞があるにも関わらず、それを怒りの感情として見せてくれた渡部豪太のレアティーズも印象的。
北香那演じるオフィーリアは、狂乱の姿を自由になったものとして見せてくれた。ボンデージ&ディシプリンを感じさせる、首元や手首迄しっかり詰めた優雅な薄桃色のドレス(これがまた貞淑の権化のようだった)から、淡黄色の肌着へ。脚を露わにし、裸足で駆ける。これ迄の全てが拘束着だったかのように感じられた。そういえば芝居見物の場面、ハムレットがオフィーリアに膝枕をさせる演出が多いようにも思うのだが、今回それがなかった(20240517追記:公開されたゲネプロの映像を見たら、膝枕してたわ…起き上がってクローディアスの様子を凝視する時間が長いので見落としたのかも、失礼しました)。ハムレットが大きな声を出す度にびくびくと怯えるオフィーリアの姿を見ていたからこそ、狂気のなか声を限りに叫ぶオフィーリアに痛快さすら感じてしまった。こんな悲しい痛快というものもないのだが。
ラストシーンについて。戯曲のト書きには「ハムレットの亡骸を4人の隊長が運び退場、弔銃が響く」と書かれており、実際その通りに上演されることも多い。このシーンで吉田演出は、ハムレットをひとりきりにした。そこで「やっとひとりになれた」という、ハムレットの台詞を思い出す。
未来を担うノルウェー王子が去り、「おやすみなさい、優しい王子様(Good night sweet prince)」と呼びかけた最も信頼する友人も去り、舞台にひとり横たわるハムレット。そこへ花が降ってくる。オフィーリアが天上から投げたかのようだ。彼は死と引き換えに、孤独という自由を手に入れた。一国の王を切望された若者の、あまりにも寂しく幸せなラストシーンだった。「花が降ってくる」という演出は蜷川演出でも度々用いられたもの(『元録港歌』『近代能楽集』など)。命尽き地上へ落ちる花は、今回死者を祝福しているように見えた。
マイベストの『ハムレット』は、さいたまネクスト・シアターの『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』(感想はこちら→1回目、2回目)。故人が演出したものという意味でも、もう存在しないカンパニーによって上演されたという意味でも思い入れが強く、これはもう死ぬ迄不動のNo.1だと思っている。なのでもう自分にとっての『ハムレット』観劇人生は余生みたいなものなのだが、それでも観続けているとこういう宝石のようなハムレットに出会える。
そしてこの作品には、古典であり乍ら常に現在──上演時の時代背景や社会のありよう──を映す鏡のように気づきをくれる。それが名作の所以なのだろうが、観る度新しい発見と、新しい感動がある。抑圧から解き放たれたオフィーリア。「タガが外れた世界」に抗うハムレット。このカンパニーは、そんな『ハムレット』を見せてくれた。
「あとは、沈黙」した彼のことを、観客は今、この世界でどう伝えてゆけばよいのだろう。
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・吉田鋼太郎が新たに演出する『ハムレット』について、ハムレット役・柿澤勇人とフォーティンブラス役・豊田裕大と共に意気込みを語る┃SPICE 吉田:(ハムレット役は)できる人とできない人、あるいはやりたい人とやりたくない人とに分かれる(略)最後までやり抜ける体力があるかどうか。その体力も単に力が強いとか筋肉があるというのではなく、俳優としてのブレスがきっちり取れるかどうかのほうが重要です。 吉田:『ハムレット』というこの芝居は、復讐を成し遂げるヒーローの話ではなくて、絶対に人を殺してはいけないよということを言い続けている話のような気がしてならない。逆説的な見方ですけどね。 柿澤さんは「できる人」でしたね。シェイクスピア作品に造詣の深い吉田さんの『ハムレット』解釈も興味深く読めるよい記事
・柿澤勇人「とにかく命懸けで舞台に立ちます」〜吉田鋼太郎演出・上演台本、彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』が開幕┃SPICE 確かに命懸けを感じるハムレットだったな…優しい王子様、ご無事で……
・それにしても、『彩の国シェイクスピア・シリーズ』でシェイクスピア作品の殆ど(全部は観に行けていないので)を基本ノーカットで観ることが出来たのは財産だったなあとしみじみ
・よだん。亡霊がハムレットに自身の死の真相を伝えるシーンで、あまりにも激しく抱き合うので亡霊のヒゲが剥がれてしまい、落ちそうになっていた。ハラハラした
・そうそう、クローディアスの膝の話に共感したのは初めてだったわ。「頑固な膝を曲げるんだ」のとこね……わかる! 年取ると神の前であろうと跪くのたいへん! 観る度に新しい発見と実感があるものですね……
さい芸ではこの日が唯一のマチソワでしたが、いやホントこの作品、この演出でマチソワはきついって……。思わず調べてしまったが、あと愛知、大阪公演で1日ずつマチソワあるみたい。ご安全に〜!
4月に抽選販売されたものなんだけど、この日の会場でも売られていました。多分抽選は全部当たって、その上で余った分(笑)を売っていると思われる。 改修後大ホールに入ったのは初めて。席番プレートはプラ板(かな? 金属ではなさそうだった)になっていたので、次回改修があってもこういうキーホルダーはつくられないだろうなあ。貴重なものを有難うございます。数々の舞台の思い出とともに手元に残せてうれしいです
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