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2023年09月30日(土) ■ |
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パール兄弟 結成40周年〜ありがとう、ヤッシー〜 |
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パール兄弟 結成40周年〜ありがとう、ヤッシー〜@原宿クロコダイル
ライヴの前に行った菊地昇さんの個展で、デヴィッド・バーンやトーキング・ヘッズの写真を観ていたのでした。
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パール兄弟ゆかりの地、原宿クロコダイルで40周年のお祝い。同時にヤッシーこと矢代恒彦さんのメモリアル。ひとの死は自然の摂理なれど、末っ子がいちばん早く亡くなるなんてね。入場時にガーベラの花一輪と、「ヤッシーへメッセージを」という紙片が渡される。ステージ前に献花台と遺影。といっても、すましたヤッシーはポップな赤い額装で飾られている。アー写でも使われていたこの写真、格好いいよね。好きだったなあ。なんて思っていたら、MCでサエキさんが「双羽黒に似てるっていってたよね! 元北尾ね!」とかいいだして笑ってしまった。そう、フロアは常に笑いに溢れていた。しんみりしつつも楽しくお別れ出来てよかったな。パール兄弟はそうでなくちゃ。
各々のスケジュールやコロナやらで、バンドセットは本当に久しぶり。その間にヤッシーは亡くなってしまい、追悼ライヴとかやらないのかなと思っているうちに一年経ってしまった。最後のステージは亡くなる2ヶ月前、ビルボードのホットボンボンズ。逃してしまった。入場前隣に並んでいたひとと話していて、「(ビルボードでは)確かにすごく痩せたなと思ったけど、まさかあれが最後になるなんて」「このまま追悼も何もやらないの? ってずっと気になってて」といっていた。実現してよかった。エスケンやバンド仲間には伝えてあったそうだが、観客は彼の病状を知らずに演奏を楽しんだ。上田現のときみたいだな。やっぱりいつが最後になるか判らない。行けなかったことを悔やんでいる。
というか多分、ボンボンズだと皆「エスケン大丈夫か? 最後迄やれるのか?」みたいな感じでエスケンに注意が集まっていたと思う。フロントマンだからというだけでなく、年齢的にも大きな挑戦だったからね。それをしっかり支えていたのが、ヤッシー最後の演奏だったんだ。
エスケンまだまだ元気でいてね!
ヤッシーがパールに参加するようになったのは『PEARLTRON』のあとくらい。私が上京してパール兄弟のライヴに行けるようになった頃には、もういるのがあたりまえだった。いない方が珍しかった。その後五男坊として正式メンバーというか兄弟になってからは、いない訳がない。「TRON岬」や「青いキングダム」で、あのシンセの音が聴こえないことに愕然とした。窪田さんの負担がかなり増えているようにも感じた。いつにも増してエフェクターを切り替える回数が多く、長年聴き慣れたものとは違う音がカラフルに繰り出される。かなりたいへんそうではあった。そしてこちらは聴こえてこないアナログシンセのあの音を脳内で鳴らす。悲しい作業だが、これがまた鮮明に思い出せるのだ。唯一無二のヤッシーの音は、こうやって聴き手の心に生き続けるのだなと思う。
実際窪田さんは音づくりに関してかなり参ってるようで、というか亡くなったときの「困る!」という言葉が顕著だったが、困り果ててる、途方に暮れてるという感じだった。まだどうやればいいか判らない、正解を探している最中、というか今やってるこれが正解なのかどうかすら判らないといっていた。勿論音に関してだけでなく、長年の音楽仲間が、しかも後輩というか弟のような存在が自分より先に鬼籍に入ることになってしまい、こちらの想像など及ばないくらいのダメージがあったのだと思う。あまりそういうところを表に出さないひとだが、というか実際ステージ上でそういう姿を見たことがないが(自分の勘当という名の脱退時でさえ「どうも自分には人情というものがないくさい」っていってたよね! ガッチガチに義理堅いくせに!)、下を向いたり、顔をしかめたりする場面が何度もあった。サエキさんがいつもの感じで軽妙な(そしてときどきデリカシーのない・笑)トークで場をまわして、まわし過ぎて何かいおうとしていた窪田さんが話すのをやめてしまったりもしたのだが、それはサエキさんの配慮なのかもしれないな、とちょっと感謝。
2ndセットでは、音源から抽出したヤッシーの音を吉田仁郎さんがPCから鳴らしてくれた。どんなにホッとしたことか。脳内補完をする作業から解放されると同時に、ああ、ヤッシー本当にいなくなっちゃったんだとまたさびしくなる。それでも思い出話に笑いは絶えない。アナログシンセと手弾きに拘り続けたこと、病状が進むなか「もう好きなことだけやるんだ」と煙草をやめなかったこと等、彼なりの頑固さを新たに知り、だからこそ誰にも真似出来ないあの音が鳴らせたのだなと改めて納得したりした。あと窪田さんが「パール兄弟はサエキくんとヤッシーがいれば成立するから」って伝えていたって話にも驚いたな。それを受けてバカボンが「なにぃ〜!」っていって笑いに変えてたけど、そんなこといってたのか。
そうそう、サエキさんの優しさにジーンと来たことがひとつ。PC操作で「画面上に音符を置いていく」演奏が増えて、もう手弾きの演奏なんて古いんですよみたいなことをいっていた、という話から「何いってんの、手弾きのプレイヤーが減ってってるからこそ貴重なんじゃない!」ってめっちゃ早口でいったの(笑)。これ本人に伝えたのかな、伝わっているといいな。
演奏はいつもすごいんだが、いつにも増して凄味に満ちていた。ブレイクやヒットがズバズバとキマる。ヤッシーのパートを埋めるべくアレンジを変えていることで緊張感があったのかもしれない。最前にLAから来たというカップルがいて(!?)、そうなるともうサエキさんがめっちゃ構って、何度も英語で話しかけたりサインボールあげたりしてて、「○。○○○娘」でジャクソンマイケル(本日苗字→名前で呼ぼうぜという流れになってた)の「スリラー」とスネークマンショーの「ジャパニーズ・ジェントルマン・スタンドアップ・プリーズ!」の引用になる流れは恒例だけどそのパートがすんごい長くて、めちゃめちゃ下ネタを英語で呼びかけて、あのふたりずっとニコニコご覧になってたけど大丈夫だったかしら…楽しんでくれてたらいいけど……とこっちが不安になる程だった(笑)。それにしてもバカボンの「ハーッハッハッハッハ」(「スリラー」のアレ)の完コピは素晴らしかった。何度もやらされてたけど。
新曲も2曲あり、同世代の友人に亡くなるひとが増えてきたことを描いた歌詞にしみじみとし、こういうの聴くとやっぱサエキさんすごいなとなり、バカボンのスティックも聴けたし(やっぱすげえ格好いいなー!)松永さんは演奏もツッコミもサエキさんの話聞いてないところも安定の通常運転で頼もしかったし、窪田さん(9/18)とバカボン(9/28)のお誕生日祝いもして、悼みとお祝いが同じ日にあることに混乱しつつ、久しぶりに集まって故人の思い出話に花を咲かせられたことに感謝する。こうしてみると、亡くなってすぐではこんな風に明るくヤッシーを送れなかっただろう。
パール兄弟はずっと聴いていくだいじなバンドのひとつ。きっかけをつくってくれたのは教授だった。そうそう、コロナの影響で中止になってしまった矢野顕子さんとの共演、ひっそり待ってますからね。中止にならなければ、ヤッシーとやのさんの共演が聴けたんだよなあ。34年前、ヤッシーはまだ兄弟じゃなかったからね。機会は永遠に失われてしまった。やっぱりさびしい。
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setlist(サエキさんのツイートより引用)
1st set 01. Warning Sign(トーキング・ヘッズカバー) 02. メカニックにいちゃん 03. 馬のように 04. TRON岬 05. 歩きラブ 06. アニマル銀行 07. 導火線(新曲) 08. 青いキングダム 2nd set 09. らぶデカ 10. 予想したい(以上ヤッシートラックと) 11. 田舎 12. 火の玉ボール 13. ゴム男 14. 色以下 15. ○。○○○娘 16. 快楽の季節 encore 17. バカヤロウは愛の言葉 18. 僕らはここにいる(新曲)
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三年計画、期待して待ってます!
撮影OKタイムがあったの。いやホントキレッキレよな
黒縁メガネかけてるとzoffの広告のヌートバーに似てたのよ。唇薄いとことか
・Foods & Drinks┃原宿クロコダイル フードメニューの画像がないのが悔やまれる。 クロコダイル、十数年ぶり(もっとか?)に行ったけどごはんおいしいね……普段ライヴハウスでガッツリ飲食しないけど、この日は着席だったし、開演迄余裕あるし、サさんがここおいしいよといっていたのでオムライスを頼んだらふわふわ玉子で、しかもちゃんと巻いてるやつがきておいしかったー! 他のメニューも気になるものが沢山あった。限定の冷やし中華は早々に売り切れていた。昔は店名にちなんでワニのステーキとかあった憶えがあるが、今はもうないようだった
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