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2023年09月17日(日)
第7世代実験室『たかが世界の終わり』

第7世代実験室『たかが世界の終わり』@テアトル新宿


本来そこにいる筈のない、いてはならない存在であるカメラが捉える。誰にも見られていない筈の家族の表情を。母親がやさしく子どもの頰を両手で包む、その姿を。

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余命宣告を受けた青年(藤原季節)が帰郷する。自分が間もなく死を迎えることを家族に伝えるため帰ってきた彼は、そのことをいいだせないまま家族から歓迎され、そして拒絶される。妹(配信当時は佐藤蛍、現在は佐藤ケイ)ははしゃぎ、弟(内田健司)は敵意を隠そうともせず、弟の妻(周本絵梨香)の気遣いは空回りし続ける。母親(銀粉蝶)は彼を突き放し、そして解き放つ。父親は不在のまま。おそらく過去にも未来にも。

食卓で家族が互いを抉り合ういたたまれなさがテネシー・ウィリアムズの作品を連想させ、アメリカ的な印象を受けた。土地に縛られそこで一生を終える者と、その土地を捨てた者。残された者は出て行った者に羨望と憎しみを抱き、同時に出て行けない自分に自責と諦観を覚える。実際は1990年代のフランスの話。物理的な距離感は凝縮される。走れど走れど故郷から遠ざからないアメリカの土地の広大さは、欧州の比ではない。その代わり、では、どうして彼は出て行った/出て行けたのか、そして家族は出て行かない/出て行けなかったのか? という心理的な面に興味が移る。

長男はつらいよという話として観ていたところもあった。青年が家族、そして子どもを持たないことについて、弟とその妻が遠回しに、あるいは直截的に、手を替え品を替え話題にする。男の子がいない、ということも。家はどうする? 年老いた親をどうする? 弟は青年を責める。お前が出て行ったから。その後、妹の直接的なひとことで、青年が家族から孤立している理由のひとつが明かされる。

印象的だったのは、その箇所がさらりと流されたことだ。そして以降、その単語は出てこない。演出上の狙いなのかは判りかねたが、聴き逃したひともいたのではないだろうか。青年が故郷を出て行き家族を持たない原因をそのひとつに集約しないという意志が感じられた。家族間の問題は、そんな簡単に結論づけられるものではないのだ。

食卓でのダイアローグはやがてモノローグへと移行する。それに伴い、空間そのものも変容していく。具象のテーブル、椅子、調度品に白く大きなシーツがかけられ、その上を青年が歩く。弟が追いかける。投げられた膨大な量の言葉は宙に舞い、着地の瞬間を待っている。演劇でしか表現しようのない、美しい光景をカメラは見事に捉える。故郷の光景も、家族とのやりとりも、やがてくる死も思い出になる。青年は過去も未来も、必然のものとして待っていたかのような表情で迎え入れる。家族は思い出のなかへと遠ざかっていく。食卓には、家には死が横たわっている。青年が迎える死、そこからさほど間を空けず訪れるであろう母親の死、やがて消えてなくなるであろう家。

映画化され話題になったジャン=リュック・ラガルスの戯曲(原訳『まさに世界の終わり』)を、内田健司の演出、武井俊幸の撮影で。コロナ下の2020年10月に舞台作品として制作され、一回限りの無観客上演を手持ちカメラ一台でワンカット撮影、配信した作品。本編はノー編集だろうか、数箇所消音されたところがあったが、これはノイズを消したか、台詞の詰まりや躓きを後で上書きしたか。開演したら停まらない(停められない)舞台作品の臨場感と緊張感、ここぞというシーンがキマる映像作品のアングルと没入感が同時に味わえるという、稀有で貴重な出来栄えだった。演者の力量、スタッフワークの充実、ハコの磁力。全てが必然の奇跡のように集まった。

観客は舞台を、本来はいられる筈のない場所から体験することになる。食卓の横で、兄を罵る弟の声を聴く。弟の妻の困惑を聴く。階段の前で妹の夢と現実を見る。そして子どもたちと一緒に、呑んだくれる母親を見る。観客は“家”に放り込まれる。カメラは気配を見せない。第三者がいたら決して話さなかったであろう言葉、見せなかったであろう表情が、次々と豪速球で投げ込まれる。家族の秘密を堂々と覗き見する矛盾に、後ろめたさすら感じる。鏡の前で青年が独白するシーンで、一瞬だけ撮影者が映り込む。ここで初めて、自分が身体をガチガチに強張らせて映像に見入っていたことに気付く。それ程のテンション。観客は、カメラを通してある家族の破壊と再生の一夜を共に出来るのだ。なんて幸せなことだろう。

さいたま芸術劇場での上演。ガラスの光庭から開巻し、ガレリアを通ってNINAGAWA STUDIOへ入る。現在大規模改修工事中、心のふるさとさい芸のあちこちが観られ涙ぐむ。当初は屋外のシーンもあったそうだが、悪天候により急遽屋内のみの上演になったとのこと。対応力に驚く。リハを相当数重ね、緻密に画角も練ったのだだろうと感じる仕上がりだったのだ。蜷川組で鍛えられた瞬発力とリカバリは受け継がれている。エンドロールに、所謂役名がついている演者だけでなく、リアルタイムで転換、照明、音響に携わった全てのひとが“出演”としてクレジットされていたことにも胸が熱くなる。舞台をつくりあげた全員が映像に残されている。余韻を残す幕切れだった。

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・鑑賞後、映画版は兄と弟が入れ替わっているとのことで衝撃を受ける。マジか

・三原順の『はみだしっ子』に出てくる鳩の喧嘩のエピソードも思い出しちゃった。鋭い嘴も爪も持たない平和の象徴は、それ故相手に致命的な攻撃を与えられずお互い傷ばっか増えるっていう。びえー


翌日目にしてウワアアとなるな、リビングルームはデスルーム……

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・劇場公開決定!#たかが世界の終わり トレイラー


・#playthemoment┃配信舞台『たかが世界の終わり』特設サイト
「いま、目の前で」を封じられた僕たちが、
配信という形で「一期一会」を全力で果たそうとした、
誠心誠意、努力と工夫の結晶です。

『第7世代実験室』は、さいたま・ネクストシアター有志メンバーを中心に結成された演劇企画ユニット。2020年2月、旗揚げ公演『勝手に思うから』でその一歩を踏み出しました(そのときの感想はこちら)。コロナがまだ“新型ウイルス”というくらいの呼ばれ方をしていて、じわじわと公演の延期や中止が増えていた頃。藤井風じゃないけど「コロナとともにデビュー」したようなもので、彼らは茨の道を歩むことになります。公演を打てない、稽古で集まれない。旗揚げ公演を打った新宿ゴールデン街劇場は、コロナ禍のあおりを受け同年8月に閉館してしまいます。ところがこの集団のバイタリティーは逞しく、その後茨の道どころか獣道をバッサバッサと切り開いていくのです

・ダイナナチャンネル by 第7世代実験室
YouTubeチャンネルを開設し、リモート演劇シリーズを配信。3年半で91本(!)の動画がアップされています。DIYで舞台制作から、撮影、編集、配信のセッティング、サイト運営も。頭が下がるこの情熱。コロナによる制限が解除されつつあるこれから、彼らはどんなものを見せてくれるだろう? 期待を持って長く観て行きたい集団です

・第7世代実験室onlineshop
グッズもあるよ。今回の上映で興味を持たれた方、是非に〜