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2023年01月03日(火) ■ |
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『僕の特別な兄弟』 |
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『僕の特別な兄弟』@シネマート新宿 スクリーン1
シネマート新宿/心斎橋の番組編成担当である野村武寛氏が、劇場未公開作品をセレクトする恒例「のむコレ」の1本です。原題『나의 특별한 형제(私の特別な兄弟)』、英題『Inseparable Bros』。2019年、ユク・サンヒョ監督作品。
頭脳明晰だが身体が動かないセハと、身体が大きく水泳が得意だが知的障害のあるドングは、呑んべえの神父がきりもりする「責任の家」で助け合って生きてきた。20年経った頃、その呑んべえの神父が亡くなり(ずっと呑んでたもんなー)、施設が閉鎖されることに。兄弟のように暮らしていたふたりに数々の難問が降りかかり……。以下ネタバレあります。
とても優しい映画でした。冒頭に書いたように、脚本がとても細やかな配慮により書かれている。冷たい社会をチクリと刺しつつ、解決へ向かうヒントも示す。カトリックの性悪説に基づいているようにも思う。皆間違える。皆罪を犯してしまう。だから許しなさい、という宗教観。
基本的に皆気のいいやつです。神父は施設の運営資金を集めるためセコセコ立ち振る舞うけれど、神に仕え人々と愛を分かち合うという根幹は揺るがない。役所の独身男性は、担当部署が変わったのにと文句をいいつつも兄弟を援助する。就職浪人のミヒョンは、ボランティアから兄弟のよき友人となる。やる気のない介護士は(まあこれは気の緩みが命取りになるので反省して! してたみたいだけど!)終始機嫌の悪いセハに屈託なく接する。セハと裁判で争うことになったドングの母親も、最終的にはセハの身体を気遣うようになる。
神父は結婚式(謝礼目当てで引き受けてたっぽい)の誓いの言葉で、「変わらぬ愛を誓うのは無理、相手は必ず道を間違うので、そうしたときこそ許しなさい」という。このシーン妙に説得力があって、出席者は皆「これから共に生きていくふたりに何をいい出すのよ」って顔をするんだけど、やがて「……そうかもねえ」って神妙な雰囲気になるの。「責任の家」という施設の名前は「人間生まれたからには生きる責任がある」が由来。ここにも、自殺は許されないという強い宗教観が感じられる。セハはドングを「利用して」生きてきたというが、終盤、施設に入ったばかりの頃にセハが自殺を試みたこと、それを助けたのがドングだったことが明かされる。
罰するではなく許すのよ。お互いさまなんだから。人間生きてること自体が罪で、死ぬ迄それに対する罰を与えられているようなものというなら、重ねて罰を科さなくてもいいじゃない。宗教には戒律というものがあるけれど、それが罰を与えるエクスキューズになっていないか? この映画には宗教への皮肉と、同時に揺るぎのない信仰心が示されている。宗教を持つということ、それを「利用する」ことについては常に疑いをもってあたらねばならないと思っているが、この映画はそれを優しく描いたものだった。
いんやそれにしても役者が皆達者だった。兄(セハ)のシン・ハギュン、弟(ドング)のイ・グァンス、巧い! ハギュンさんはいつもすごいが、グァンスさんも『奈落のマイホーム』で観たばかりだった(茶髪のキム代理ね)のに同一人物と気づかなかったくらいの演技。神父を演じたクォン・ヘヒョはクリスチャンネームも持つカトリックの信徒とのことで、成程それであの説得力と納得させられました。ミヒョン役のイ・ソムもしっかり者の女性を爽やかに演じて好感。就職決まれ〜! と応援したくなる。呑気な介護士を演じたキム・ギョンナムも憎めない愛嬌があったなー、麒麟の川島に似てたし(笑)。
実話ベースとのことで、兄弟たちが観に行った映画が『建築学概論』ってところで時代がわかる。タイトルはいわないけど「ナプトゥク」ってワードが出てきて、「あれ何て役者だっけ?」「えーと、チョ…」までいうの。当時この映画がどれだけ話題だったか伝わる。あれから十数年、モデルとなった「兄弟」が今も穏やかに暮らしているといいけれど。
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