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2020年11月21日(土)
横浜の『M』

東京バレエ団『M』@神奈川県民ホール 大ホール


海上の月とはならず、海側から振り返ると神奈川県民ホール上の月、だった。そして目と鼻の先にある横浜山手は『午後の曳航』の舞台だという。これは未読だった、チェックしてみよう。

東京公演から一ヶ月、三島由紀夫とモーリス・ベジャール、そしてフレディ・マーキュリー、ジョルジュ・ドンが亡くなった11月。NBSのツイートで知ったが、アンドレ・マルローが亡くなったのも11月だそうだ。前回(2010年)の上演は12月だったが、初演メンバーが揃ったイチ、ニ、サン、シのなか、この日を最後に現役を引退した小林十市の本名は「十一」。このときも「11月」に上演されることの意味を考えていた。ようやく「その月」の上演を観ることが出来た。
(20201221追記:十市さん、2013年にも『中国の不思議な役人』で一度復活したんでした。はー忘れてるもんだわーというか時間が前後してるわー。書いとくと役立ちますね……書いてるから安心して忘れるのかもしれんが。あかん)

前回からそう間をおかず、全く違う位置から観られたことで気づいたことも多い。先月は最前列の上手端、この日は26列目の下手寄りセンター。演者の躍動を間近に感じられた(肌と、そのなかにある臓器の動きすら目の当たりにした!)最前列の臨場感は何ものにも代え難い体験だったが、やはりこの舞台は全景に醍醐味があるようにも思う。ペールグリーンの衣裳を着たダンサーたちが波のように寄せては返す。競うようにソロを踊るイチ、ニ、サン、シ。舞台を覆う幕越しに見る聖セバスチャンのシルエット。人間ムカデ、楯の会の隊列。桜が降り散る瞬間のカタルシス。三島作品の分身たちが集う「待ちましょう」、彼らを縫う血のような赤い帯……。溢れる色彩、緻密な構図。シーンのひとつひとつが絵画のよう。

そして改めて観ると、聖セバスチャンが与え、シが奪うという規則性に気づく。東京公演では見間違いをしていた。「禁色」のパートで薔薇を手にしていたのは聖セバスチャンで、少年は彼に手を引かれて歩く。男と女、男と男、女と女のペアを縫うように、眺めるように。その後聖セバスチャンが少年に手渡した薔薇は、シが持ち去ってしまう。そして終盤、苦悶の聖セバスチャンは少年に手を差し伸べるが、少年は彼を振り返ることなくシに手を引かれ離れていく。聖セバスチャンは生命の光と美しさを少年に見せていくが、シはその向こうにある世界──死──の、抗いようのない魅力へと少年をいざなう。

全てのカップルを祝福していた聖セバスチャンと少年は、どちらも死へ引き寄せられていくのだ。

東京公演時の「シがシであり乍ら少年の死を悲しんでいるようにも見えた」という指摘には私も頷いたが、この日のシはそれから一歩進んだ解釈を提示してくれた。シが少年を慈しむ様子はより強く感じられた。扇を開く少年、その背中をそっと押し、倒すシ。少年が死の世界へと足を踏み込んだ瞬間、弾けるように歓喜を全身で表現するシは、同時に少年を悼んでもいる。どんな者も必ず死を迎える。こちら側に来る。それをちょっとつまらなくも感じている……それが「惜しい。少しでも長く生きていればよかったのに」という悼みになる。池本祥真は、そんなシを見せてくれた。これは当たり役ではないだろうか。また彼が踊るシを観たい。出来るだけ早く。そう思った。

「待ちましょう」の、血の帯の円環には楯の会隊員のペアもいる。折しもこれを書いている今日は11月25日、三島の命日だ。観る度に新しい発見がある。それは常に現在を生きているダンサーたちと観客がいるからだ。この作品が上演され続けることを願う。三島も、ベジャールも、その度に思い出され、悼まれ、甦る。

黛敏郎の知識が自分には乏しく、音楽についての感想をあまり書けないのが残念。しかしこの十年、桜が散る場面のピアノ曲(『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」)は忘れることがなかった。それにしても、26列目からでもダンサーたちの息づかいが聴こえたのには驚いた。あれだけのプリンシパルが総出で、出ずっぱりで、踊りっぱなし。観る側は眼福でたまらないのだが、ダンサーは違う意味でたまらないだろう(笑)。ベジャールの鬼振付よ……と畏怖の念を抱く。

コロナの第三波が迫るなか、席は千鳥配置。席を減らしてのチケット発売、その後状況を見乍ら追加席を販売していったようですが……記念公演でもあるので満席でダンサーたちを迎えたかった。手が痛くなる迄拍手しました。この作品が次に舞台に載るとき、客席が多くの観客で埋まっていることを願うばかりです。

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配信も楽しみ。神奈川公演の映像も一部使われるそうです。トレイラーの通り、引きの画の美しさは映像でも映えると思う

・この配信、海外からでも観られるそうだから是非ジェイムズにだな……誰か伝えて〜

・「M」 三島への鎮魂歌 - 東京バレエ団┃鳥酉Ballet日記
「“死”でありながら少年の死を悼まずにはいられないのは彼の若さ故か!?」
「樋口セバスチャンは首藤さんの官能性は全く追求しない。三島が求めた男性性と女性性を無理なく出して、セバスチャン自身が第五の三島となった。」
「没後50年が経ち、群舞にも生々しさはなくなり、聖VS俗の構図は薄れた。最初と最後の菩薩九人が並ぶ海は涅槃と繋がる豊饒の海。三島の神聖化が進み、鎮魂歌へと昇華した舞台で、《生命の円環》《エロス&タナトス》の深淵を導き出した菊池洋子さんのピアノ演奏が圧巻だった。」
東京公演のレヴュー。頷きすぎて首がもげそう

・この上なくベジャール的な三島由紀夫解釈 モーリス・ベジャール振付『M』(東京バレエ団)┃下降の旋律
「ベジャールの美学と三島の美学はどうも正反対のように思えてなりません。前者は生命力への肯定的な信仰であり、後者は美しき生命への破壊欲です。」
「しかしこれがベジャールマジックで、少なくとも私の三島由紀夫解釈と異なるバレエを提示されているにもかかわらず、『M』は独立した作品として完璧に完成されているがゆえに心底魅せられてしまいます。」
こちらも東京公演のレヴュー。膝を打ちすぎて脱臼しそう