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2020年08月30日(日)
『Beastie Boys Story - ビースティ・ボーイズ・ストーリー』

『Beastie Boys Story - ビースティ・ボーイズ・ストーリー』@Apple TV+


このためにApple TV+入った。

もとになっているのは2019年4月のこれ、『Beastie Boys Story: As Told By Mike Diamond & Adam Horovitz』。
https://blog.beastieboys.com/post/183585825761/beastie-boys-story-a-2-person-1-man-show-about-3
 
ふたりがステージネームを名乗っていないところに一抹の寂しさ。2018年にバイオグラフィー『Beastie Boys Book』を出版したマイクDとアドロックがトークライヴツアーを開催。その後構成を変え、スパイク・ジョーンズがディレクションしたツアーが行われた。そのときのNY会場の模様が映像作品になった。本国では劇場公開もあったとのこと。


参加した中村明美さんのツイート。

「A 2 person 1 man show about 3 kids who started a band together.」。TED形式で映像を見せ乍ら、マイクDとアドロックがスピーチする。映像収録はNYの2公演とも行われたようだが、その両方をミックスして再編集したのか(それはそれで彼ららしくもあるが)、1公演のみをパッケージしたのかは判らない。ふたりの服はずっと同じだったかな。最初から作品にしようというプランがあったのかは判らないが、スパイク・ジョーンズが撮るには「残し」「発表する」意識があったのだろう。プロンプターや映像出しのキューが遅れる等のハプニングもあり、壇上のふたりとジョーンズがやりあうシーンも楽しい。

プロンプはあれど、マイクDとアドロックは自分の言葉で話す。NYで出会った幼なじみ。パンクバンドからヒップホップクルーへ、Def Jamからのデビュー、スターになって、LAヘ引っ越してパーティ三昧、浪費を重ね、ギャラが払われなくなって、クラブで再出発。NYに帰還して、「何もかもを変えた一曲」「全てを変えた一曲」が何度も出てきて(笑)、そして、そして……そんな日々が突然断ち切られる。

終始和やかな雰囲気だが、タフなシーンの渦中にいたことが端々に感じられる。パーティピーポーを揶揄するつもりで書いた「(You Gotta) Fight For Your Right (To Party)」のヒットにより、自分たちがパーティピーポーになってしまった話はほろ苦い。珍しい「白人のラッパーグループ」を戦略的に売り出したDef Jamとは一時期軋轢もあったようだ。今では関係は良好のようだが、リック・ルービンとラッセル・シモンズとはいろいろあったみたいですね。それにしても、『Paul’s Boutique』のいわれよう……(苦笑)いいアルバムじゃんねえ。本人たちは気に入っているというところがよかった。周囲に惑わされない力を身につけた。彼らは大人になった。ああ、生きていればこうして振り返れるし、後悔はせずとも反省は出来る。時間は巻き戻せないけれど、過ちを繰り返すことはない。

LA時代出演した映画を大画面で映されて「いやっ…観ないでえ……」と弱ってるアドロックは見ものです(笑)。それを受けて何度も出演シーンをリプレイするジョーンズ、鬼監督。まだたどたどしい頃のラップが聴けたのこと貴重。一朝一夕にあのスキルは完成しない。ラップにしても楽器にしても、第一線にいるひとはやっぱり鍛錬しているのだ。

それにしても、若い頃のリック・ルービンをこんなに見られるとは……もう腹抱えて笑ったわ、私が知ったときはもうアメリカンオルタナの総帥みたいになってたからなー。彼にもこんなおぼこい時代があったのね。アドロックの映画よりも見てて恥ずかしかったよ(ヒドい)!

アドロックはずっとオリジナル・メンバーに敬意を払っており、特にケイト・シュレンバック(Luscious Jackson(!))のことを気にかけていたようだった。調子こいてた時代にクラブでケイトに会った、でもどちらも知らないふりをした、俺はこんな自分を見られて恥ずかしかった……みたいなことをいっていた。アドロックが主な語り、マイクDが茶々を入れるという感じで進行していたんだけど、時折アドロックが当時のことを思い出して言葉に詰まるような場面もあり、そういうときはマイクDがうまく話を引き継いでいた。最後のライヴは2009年のボナルーフェス。「これが最後になるなんて思ってもいなかった」。MCAが亡くなって7年経ってもアドロックは泣いてしまう。傷は全く癒えていない。

やんちゃな幼なじみが大人になり、社会の矛盾に気づき活動を起こす。青春時代の終わりは誰にでも訪れるが、彼らのそれには大きな痛みがついてきた。MCAは常に進化し続けた。彼のナードな面(インターネットもなかった時代にどこから習得したのか、機材操作の裏技をかなり持っていた)や映像作家としての才能(ナサニエルおじさんね・笑)も紹介しつつ、「最後迄謎の人物だった」とふたりはいう。MCAが亡くなり、ビースティの活動は停まった。新曲はつくらない、ライヴも行わないとふたりは明言した。しかし公式サイトは残っていた。6年の沈黙ののち、彼らは本の出版、トークライヴ、映画、と少しずつ動き始めた。ふたりの人生はまだまだ続く。続く筈だ。彼らがこれから歩む先を見ていきたいと思わせる幕切れだった。

ボーナストラック的に、エンドロールの途中で本編以外のエピソードが入る。これが長い!(笑)来場していたスティーヴ・ブシェミやベン・スティラーとのやりとりもある。前述の中村さんのツイートによると、デヴィッド・バーンも来ていたそう。NYならでは、ニッコリ。

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ビースティは周囲にガチのファンがいたり、90年代のオルタナシーンを追っていれば必ず耳に入ってくる存在だった。クラブに行けばかかっているし、実はアルバムもほぼ聴いている。しかしなんだかんだで縁がなく、一度もライヴを観ることがなかった。8月21〜23日に、今年は休みとなったFUJI ROCK FESTIVALが過去のライヴを配信した。ビースティが2007年にヘッドライナーを務めたときの映像もあった。結果的にこれが日本最後のライヴになった。映像のなかのひとたちは誰もそれを知らない。幸福な時間。長年とろ火だった熱が一気に強火になった。遅すぎた。この映画は渡りに船だった。

ふたりはこれからどうするんだろう……と思っていたら、Public Enemyの新作にマイクDとアドロックが参加しているというニュースが飛び込んできた。そして、

新編集のベストアルバムのリリースが昨日発表された(書いてるのは9月4日)。あまりにも絶妙なタイミングで悶絶している。曲は残る、人生は続く、Joyも続く。

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・Beastie Boys Story ― Official Trailer | Apple TV+


・スパイク・ジョーンズ監督によるビースティ・ボーイズの新ドキュメンタリー映画『Beastie Boys Story』がApple TV+で公開決定┃uDiscoverMusic
・ビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウク:音楽家であり監督でもある彼の痕跡と革新的生涯┃uDiscoverMusic
・大ファンのANIも驚き&再発見もりだくさん!『ビースティ・ボーイズ・ストーリー』“あの3人”の軌跡を本人たちの言葉で振り返る┃BANGER!!!


そうなの、このときのことはよく憶えてる。どれだけ力づけられたか。左が2011年3月17日右が2012年5月6日

・おまけ。TEDといえばアマンダ・パーマーの自伝に、ニール・ゲイマンとつきあいだした頃、相手が有名人であることから売名行為じゃないかといわれるプレッシャーにすごく悩んでキャスリーン・ハンナに相談してたって書いてあったな。キャスリーンが自分も同じだったといっていて、彼女ですらそうなのか! と驚いた記憶。キャスリーンはRiot Grrrlムーヴメントの先駆者であるBikini Killの中心人物。そしてアドロックのパートナー