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2019年09月09日(月)
『あいちトリエンナーレ 2019』参考文献

さて今回のあいちトリエンナーレのことを書くにあたって、避けて通れない話題について。私個人の考えは、「『表現の不自由展』が脅迫により中止に追い込まれたことに怒りを感じる。しかし『表現の不自由展』実行委員会の対応には疑問がある。現地スタッフの安全は守られるべきである。脅迫、テロには断固として抗議したうえで、展示の再開を希望する」です。

会場内のあちこちにステートメントが張られていました。





『THE ROMEOS』のポスターにステートメントが張られていたのを見たとき、ああ、こうやって作品が“塞がれて”いくのだ、と大きなショックを受けた。それもあって、『THE ROMEOS』自体も展示(公演)中止になったと思い込んでいて不用意なツイートをしてしまったら津田大介氏ご本人からご指摘頂き恐縮しきり。あーこうやってデマが拡がってしまうのだなと反省した……。実際あいちトリエンナーレ全てが中止になったと思い込んでいるひともいたものな。こういう些細なことの積み重ねで悪い噂というものが拡がっていくことを知っているので、津田さんはひとつずつ丁寧に事実を伝えることを怠らないのだろう。お手を煩わせてしまい申し訳ない。

しかし『THE ROMEOS』のパフォーマンスはユニークですよね。あの日も会場のあちこちにロミオはいたわけだ。遭遇したかったなあ。

閑話休題。あいちトリエンナーレは大規模な芸術祭。『表現の不自由展』はそのうちのひとつのセクション。今回の騒動で、他のプログラムがないがしろにされることなどあってはなりません。悔しい思いをした作家も数多くいると思います。沢山の記事を読みましたが、そのなかで賛同出来る内容のテキストをおいておきます。今回の問題についてよくわからない、少しでも興味があるという方は是非読んでみてください。

・(2019/07/31)あいちトリエンナーレ2019 情の時代┃村田真┃artscape
“(「表現の不自由展・その後」は)トリエンナーレの核となる「国際現代美術展」の出品作家66組のうちの1組という位置づけで、全体から見ればごく一部に過ぎない。にもかかわらず「表現の不自由展・その後」ばかりにスポットが当てられている”

・(2019/08/07)愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた┃瀬川深 segawashin┃note
“この「表現の不自由展」、すでに我らの社会に満ち満ちている「不自由」のごくわずかな一部分をすくい取って持ってきたに過ぎない。その点、この展示がなにか特別な異常な奇異な偏屈な不愉快な非倫理的な不服従的な反日的な侮蔑的な、つまり少数の異常者による異常な表現だと思いたがるような連中には気の毒なことだが、われらの社会のありふれた一側面なのだと言うことを強調しておきたい。”

・(2019/08/16)「表現の不自由展・その後」の炎上は、“世界水準の芸術”だった? ヒントとなる文脈を探して。┃HUFFPOST
“理性的に対話すればわかるはずだという「熟議民主主義」に対し、「人と人は分かりあわないし、対立する」ということを前提としそれを重視しようというのが、「ラディカル・デモクラシー」と呼ばれる立場であり、すごく単純化すると、「敵対」を推す立場の人たちが望む民主主義のあり方だ。”
“「不和」や「敵対」を前提としながらも、「理解」や「対話」に向かう、そういう不可能かもしれない未来を、アーティストたちには創造して欲しい。おそらくあいちトリエンナーレで展示されている個々の作品はそれを志向しているはずだ。アーティストたちが自主的に対話する機会を作ったのもその現れであろうし、個別の作品は、複雑で矛盾した人間や現実それ自体を繊細に見つめていた。いかにして公共性や共同体を再構築するかというテーマもある。”

・(2019/08/25)REALKYOTO - CULTURAL SERACH ENGINE「あいちトリエンナーレ2019  情の時代」REVIEW┃福永信
“タニア・ブルゲアを含め中止を決断した作家のほとんどは「女性作家」であり、男女比の均衡は完全に崩れてしまった。”
“展覧会自体が、このように即興的に生まれた新しいアイデアによってハッスルし始めている姿を見るのは、私は好きである。減るのではない、増やすことへの積極的なアプローチは、本当に素晴らしいと私は思う。”