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2018年10月14日(日)
『ゲゲゲの先生へ』

『ゲゲゲの先生へ』@東京芸術劇場 プレイハウス

ワーイ大好きなやつだった。最近夜中にウチの風呂場から物音がするんだけどもうアカナメがいるんだってことでいいや……と優しい気持ちになれる作品。異世界を異文化と読みかえてもいい。理不尽な出来事に巻き込まれたとき、悲しみや憎しみの底が見えなくなる程苦しいとき。理解出来ない現象を「解釈」し許容することは、ひとが生きていく術でもある。信仰は他者を拒絶することでも、排除することでもない。

タイトルからも判るように、水木しげるへのラブレター。水木作品に描かれる数々のモチーフを前川知大(及びイキウメ)流に解釈、料理したもの。もともと前川知大及びイキウメの作品は、SFやホラー等超常現象の根拠を探っていくものが多い。『奇ッ怪』シリーズでは日本の古典や土俗信仰を通じ、「何故こんな伝承が定着したか」に生者の知恵と死者からの教訓を見る。両者の相性はとてもいいだろうと楽しみにしていた。キャストも申し分ない。何しろ白石加代子、手塚とおる、池谷のぶえが揃うのだ。佐々木蔵之介がねずみ男というのには思わず笑ってしまったが、これが見事なハマりぶり。実に魅力的なねずみ男なのだ。

半分妖怪、半分人間の根津(勿論ねずみ男からのネーミングだ)が出会う「妖怪」は、自然現象を操るものとして現れる妖怪と、現実世界で猛威をふるう妖怪の二種類いる。現実世界の妖怪とはつまり人間そのもので、近年の日本でもよく見かける。世界のあちこちにもいるだろう。そこで犠牲になるのは弱者、主にこどもだ。生まれてきたこと、生きていることを誰からも祝福されないこどもたちには、憎しみや恨みといった感情が生まれず育たない。ただただ「痛い」「苦しい」「お腹が空いた」といった健気な思いだけを残して死んでいく。そうした存在を演じた大窪人衛が印象に残った。こどもは怖がりで、だから暗闇にいろいろなものを見る。そして「妖怪」は、怖がる人間がいないと現れない。『暗いところからやってくる』でも描かれた世界だ。人間が経験を重ね知識を得るにつれ、恐怖との共存は可能になっていく。畏怖という解釈が生まれ、他者への寛容が生まれると理想的だ。理解出来ないものに名前をつける作業は、ときにひとを癒す。しかしラベリングが進むと差別が生まれる。本テキストでは、登場人(?)物について便宜上「ねずみ男」などと書いていますが、劇中その名前は出てきません。この配慮は、妖怪に姿を与えた水木作品と通じ、ものごとに名前をつける人間の習性を浮かびあがらせる効果がありました。

金に汚く息も屁も臭い、そして孤独でさびしがり屋。なんだかんだで人助け、ちゃっかりお代は頂きます。使うあてはあるのかな? ドスの効いた声、くたびれた表情の迫力で、色気もたっぷり。佐々木さん、格好いいねずみ男でした。それにしても皆さんヴィジュアルが素晴らしかった。特殊メイクなんて施していないのに、めちゃめちゃ妖怪(笑)。手塚さんも大層ねずみ男が似合うだろうなーなんて思っていたら、かなり寄せた扮装で出てくるシーンがあってウケたわー。大窪さんと池谷さんの声もとても効果的。なんだか親しみを感じてしまう、愛おしい妖怪たちでした。

意図的かどうか、開演前の諸注意アナウンスが全くなかった。生演奏(効果音から劇中の祭囃子迄、素晴らしかった!)によるオープニングのインパクトを重視したのかもしれない。それにも関わらず、上演中一度も異音は鳴らなかった(少なくとも自分の周りは)。集中力の高い客席だった。こういう作品なので、何らかの力が働いたのかななんて思えるのも楽しいことです。さて、イキウメンなカンパニーによる料理はどうでしたか? 健啖な水木先生のこと、もぐもぐもぐーっと完食でしょうか。