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2018年05月19日(土) ■ |
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『ハングマン HANGMEN』 |
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PARCOプロデュース 2018『ハングマン HANGMEN』@世田谷パブリックシアター
やー、過去観たマーティン・マクドナー作品のなかではいちばん笑った、黒い笑いですが。構成としては『ウィー・トーマス』に近い。特に二幕目。不在のものを巡りエスカレートする暴力、あっけない解決、残された死体と、その後始末。寓話のような幕切れは、昨年映画界を賑わせた『スリー・ビルボード』に通じるところもあります。目安として、当方いちばんヘコんだのは『ピローマン』です。
1965年、絞首刑が廃止されたばかりのイギリス北部の町、オールダム。最後の“ハングマン=絞首刑執行人”ハリーが退職後開いたパブへ集うのは、開店と同時にやってくる三人の常連客、勤務時間になっても職場へ向かわない刑事、「最後のハングマン」の記事を書きたい新聞記者。そこへやってくる、ロンドン訛りで洗練された身なり、でもどこかがおかしい若者。執行を担当した死刑囚は冤罪だったのか? という横糸に、その若者、執行人の元助手、ハリーがライバル視していた「吊るすのがいちばんうまい」No.1ハングマン、ロンドンからきた若者に好意を持つハリーの娘という縦糸が絡む。ハリーがかつて誇りを持って従事していた仕事の腕は、その制度がなくなったのちも存分に活かされる。しかしそれで何かが解決するということはない。執行人は捜査はせず、判決を下すこともない。時代においていかれつつある、ひとりの男の物語。
死刑囚の独房、パブ、ハンバーガーショップ。場面ごとのリズムが独特。インタヴューが行われるパブの二階は抽象的な扱い。なかなか演出家泣かせな場面転換にも感じる。SePTの天井の高さと盆を気持ちよく使った空間使い。吊るしも派手に出来てよいですね(…)。クダを巻いている酔いどれたち、ふさぎがちな思春期の娘、ハングマン一家に近付く素性がわからぬ男、彼らが口にする不安と不穏。それらの積み重ねからジワジワと緊張感を高めていく一幕、一気に状勢が動く二幕。怖い、そして面白いのは、二幕目で爆発するであろうヴァイオレンス(感情でも、暴力という行為でも)のために一幕目が用意されていると待ち構えている自分に気づくことだ。実際、感情を逆なでするような人種差別、地域や職業に対する侮辱がちょっとした会話の端々にこれでもかと仕込んである。それはもう執拗な程、丁寧に。こいつをどうにかしなければ、してほしいという感情がこちらに積もり積もったあげく、溜飲が下がるような展開。ところがそれは見当違い、という結末。笑いも黒くなるというもの。
今回の翻訳は小川絵梨子。テキレジも丁寧にやったのではないかと思われる。イギリス北部のなまりを東北弁的なアクセントにしたのはわかりやすいアイディア。ああいう台詞まわしをする田中哲司というのはなかなか珍しい。哲司さんの近年の仕事のなかでは珍しいキャラクターに思えるが流石に巧いし、色気があって愚かで懸命な役は彼によく似合う。体格もよいので、蝶ネクタイに山高帽、ベストといったクラシックな衣裳もよく映えます。娘の終盤の台詞は1960年代のイギリスではありか? いや現代でもあるか?! とちょっとマクドナーの露悪趣味に苦笑。その台詞を言い放たれる父親、そして妻から冷めた一言を放たれる夫が哲司さんという図式に、役者とは因果な職業よのおという苦笑も。
三上艦長の使い方が贅沢! 途中迄出るってこと忘れてたよね……それだけ話に引き込まれてたってこともありますが。幕間に「あのNo.1執行人、これから出てくるんだろうなあ。……あっ、艦長出るんだった!」とやっと気付いたくらいで。それもあり、登場したときはよっ千両役者! と声をかけたくなりました(笑)。
そうそう、ロンドンの若者はエドワード・オールビー『動物園物語』の登場人物、ジェリーみたいだった。長ゼリ的な意味でも。相手との距離感を掴もうとしない、会話はモノローグにしかならない。あれは怖くて物哀しい。大東駿介がいい仕事なさいます。あの不気味さ素晴らしかったなー、美しい容姿なだけに尚更。あの長ゼリはホント大変だと思うけど、それを台詞のたいへんさではなく、語る人物の内面に渦巻く嵐として聴かせてくれたところにも唸った。そう聴こえた。カーテンで仕切られ、誰にも見守られることなく、謎のまま消えていく。彼は哀しいひとだった。
おもろうて、やがて哀しきマクドナー。
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・カーテンコールで長塚くんが座長みたいな挨拶してたのに密かにウケた。哲司さんがガンガン前に出て挨拶するキャラじゃないとはいえ……ま、その名前で客を呼べる演出家だし、出演もしてますからね
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