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2018年05月01日(火) ■ |
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『アメリカン・ヴァルハラ』 |
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『アメリカン・ヴァルハラ』@新宿シネマカリテ スクリーン2
映画はジョシュ・ホーミのモノローグから始まる。時間は誰にも乗る(ride)ことが出来ない。一瞬でも時間をつかまえて、自分の思いどおりに操ることが出来ればと願うが、それは不可能なことだ。俺は助手席に乗っているだけ。助手席から、目の前を流れていく風景を見ているだけ。
写真家でもあるアンドレアス・ニューマンとジョシュの共同監督作品。自分のバンドを失った(といっていいだろう)イギー・ポップが、新作を制作するにあたってのパートナーにQueens of the Stone Ageのジョシュを指名することから全てが始まる。イギーの音楽を聴いて育ったジョシュはその大役に舞いあがり、同時に困惑する。返事を迷うジョシュへ、イギーは追い討ちをかける。ツアーに出ているジョシュのもとへ自作の資料を送りつけたのだ。同じ曲を演奏する日々、クリエイティヴィティに渇望しているツアー中にこの仕打ち(笑)。イギーの意気込みといおうか、創作への渇望が感じられるエピソードだ。
フェデックスの封筒に入った紙束をとりだして、ジョシュはふりかえる。「妻のブロディ(・ドール)に相談したんだ、どうしようって。ブロディは『こんな貴重なものを受けとっておいて断るなんて、失礼だ』といった。それで決心した」。背中を押してくれたブロディに感謝。ジョシュはバンドメイトであるディーン・フェルティタと、かつてプロデュースを務めたArctic Monkeysのマット・ヘルダースを召集する。アジトはランチョ・デ・ラ・ルナ・スタジオ。すわデザートセッションズか?! かくして『Post Pop Depression』プロジェクトはスタートする。
レコーディングは秘密裏に行われ、制作過程を記録に残すつもりもなかったため、レコーディング風景の多くは静止画像(写真)で構成されている。イギーの仕事ぶりや、彼との思い出を残しておきたいといった個人的な記録──ジョシュやディーンの日記(普段は日記なんて書かないのに、といっている)やマットが撮影した画像を観乍ら、観客はイギーの、ジョシュの話に耳を傾ける。イギーが繊細なひとであることよく知られているが(たとえば『コーヒー&シガレッツ』を観れば一目瞭然)、ジョシュのナイーヴっぷりも相当なもので、レコーディング序盤はお互いある種の怯えすら感じていそうな空気。しかし周囲に人気のない砂漠のスタジオで長い時間を過ごし、食事を共にし話す日々が続くうち、信頼関係が築かれていく。
アルバムクレジットに「Additional Assistance」と記されていた、パトリック“ハッチ”ハッチンソンの役割が明かされる。彼はランチョ・デ・ラ・ルナのハウスエンジニアだが、レコーディングに訪れるバンドマンたちに食事を用意するのだ。レコードはバンドだけによって作られるのではない。表に出てこないひとたちの貢献をさりげなくしらせる。音楽に対して真摯で、聡明なひとたちが的確な仕事をする。不安は消える。これは、という確信が生まれる。幸福な時間が流れ始める。
レコーディングはジョシュが、ツアーはイギーが消極的だったという話も興味深い。イギーは体力的な不安もあったのかもしれない。今度はジョシュがイギーをけしかける番だ。イギーがこのバンドでツアーに出たいと思わせるため、トロイたち迄呼び集めてセットリストを練り(ジョシュ側が選曲したから「China Girl」が入ったとか、いい話だよ……)、過去の名曲たち「The Passenger」や「Lust for Life」をみっちり練習する。微笑ましい。そうして迎えたリハ初日、イギーのもとへデヴィッド・ボウイの訃報が届く。ツアーはスタートし、幸福な時間は不思議な時間へと変わる。
ボウイは去り、ライヴで演奏されるのはボウイに深い縁がある曲。イギーとボウイが共に過ごしたベルリンも訪れる。ファンはあの曲が、この場所がどういう意味を持つのか知っている。ジョシュたちはイギーを鉄壁のバンドサウンドでサポートする。賢者を守る騎士のようだ。クライマックスはロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール。こんな由緒あるホールで演奏するなんてふさわしくないといわれた、こんな綺麗な服を着てライヴするなんて初めてだ。そう笑った先からF**Kを連呼し、イギーは服を脱ぎ捨ててオーディエンスのなかへ飛び込んでいく。フロアとステージを、笑顔とキスの嵐が襲う。マットが泣いてたの、かわいかったな。ツアーは特別なものになった。
最後に再び、ジョシュのモノローグ。時は戻らない、時間は誰にも操作できない。そうか、そういうことだったのか。これは音楽のことでもあったのだ。音楽は時間のアート。時間がとまると音楽も消える。レコーディングは終わり、ツアーも終わる。音はやむ。しかし、レコードは残る。「ジェイムズ・オスターバーグ。有難う、俺を信じてくれて」。胸がいっぱいになっていたところにこのひとこと。はっとすると同時に暗転、エンドロール。涙があふれる。ジェイムズ・オスターバーグは、イギーの本名だ。
タイトルの『アメリカン・ヴァルハラ』を指してイギーはいう。「これは(アメリカンである)自分のヴァルハラ、アメリカという国のヴァルハラだ」。働き続けなければ、動き続けなければ価値がないとされる国。盟友を亡くし、自身の死もそう遠くないと感じている自分と、この国に対しての思い。しかし同じアメリカンであるジョシュはいう、時間をつかまえられるのは死後か? それなら意味はない。生きているうちに、その助手席で楽しむんだ。自分ではライド出来ない時間というものを存分に生きろ。時間という音楽の物語。音楽にとり憑かれている者たちの物語。ジョシュによる『Post Pop Depression』回想録、そしてイギー・ポップへのラブレター。
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というわけで今作は『女は二度決断する』と同日公開だったのでした。こちらでは本当の発音に近い「ホーミ」表記でした
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