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2017年03月12日(日) ■ |
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『哭声 コクソン』 |
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『哭声 コクソン』@シネマート新宿 スクリーン1
いろいろ前後してますがこれも勢いのあるうちに。盛況でございました、謎解きものとして観てもたいへんな力があるので(後述)これからリピーターも増えるんじゃないかな。2016年、ナ・ホンジン監督作品。原題『곡성 哭聲(コクソン)』、英題『The Wailing』。
『エクソシスト』(悪魔祓い)と『震える舌』(子役がスゴい)と『インランド・エンパイア』(ダンスのカタルシス)と『沈黙』(信じたいものはどこにある?)を土俗とコミュニティで煮詰めたらエラいもんになったというか……。そう、観ているときの感覚が『沈黙』のそれととても似通っていた。次から次へと差し出されるエピソード、スリリングな展開に息を呑み、人間のものを信じる力(思い込みともいえる)にホラー味すら感じ、シーン毎に自分自身への問いかけが更新される。台詞にも出てくるように「おまえらコントでもやってんのか」という要素すらある。タイトルも対照的だ。
異文化(異教=仏教、キリスト教、シャーマニズム、アニミズム)になにを見るか。「異物」を信じるのは自分が知らないことへの好奇心、疑うのは自分が知らないことへの恐怖心。先日観た『雪女』のパンフレットにこんなことが書いてあった。ラフカディオ・ハーンが赴任した土地で「赤鬼がいるからあの地域には近づくな」という噂がひろまった。その赤鬼とはハーンのことだった。「赤鬼」は侮蔑の言葉ではなく、人知を超えた力を持つ異界からの訪問者の意も含む、と。訪問者に抱くのは歓待か、それとも排斥か。それぞれが生まれ育った土壌(環境)も深く影響してくる。思い出すのは『いなかのねずみとまちのねずみ』。
「よそ者」を演じた國村隼は、作品のテーマについて「人間の中の疑心暗鬼に根ざす“不安”や“妄想”。人は何を信じ、何を疑うのかという“問いかけ”」と仮説をたてた、と話している。「よそ者」は日本人。その人物像は何度もゆれる。悪人なのか、善人なのか、この村を滅ぼそうとしているのか、救おうとしているのか……。これは現代の韓国が感じている日本を象徴化したものなのか? とも思った。よそ者はファン・ジョンミン演じる祈祷師と対決しているようにも見えるし、同盟を結んでいるようにも見える。いくつかのヒントから、ふたりの共通点を見出すことも出来る。終盤の展開はどの時点で切ってもジ・エンドになりうるし、同時に続編が作れそうな謎も残る。思わせぶりな演出はどこ迄意図的なのだろう? 観客に解釈を委ねる作品は好きだし、それはそれで面白いけれど、何か政治的な横槍が入ってこうなったのではないといいな……なんてことも思った。
これは鏡でもあって、自分が異国、異文化、異教に対してどう思っているかがそのまま反映されている。どうやら自分もまんまと『沈黙』に絡めとられていたようだ。何を信じたい? うーむ、ナ・ホンジン監督、ひとすじなわではいかない。
演技陣でいちばん印象に残ったのは実は娘役のキム・ファニ。こどもつよいわ……ショッキングなシーンも多いなか、どういう説明や指導を受けてあの演技をしたのか知りたいほどです。撮り方もあるのだろうが、あの表情、目つきの変化の恐ろしいこと。主演のクァク・ドウォンは、ひとりの村人、こわがりの警察官、やさしい父親像をときおりユーモラスに演じており、悪役のイメージが払拭されました。や、これ迄すごい意地悪だったりヒドい役でしか観たことなかったのでね……。國村さんはプリズムのような演技を見せる。黙って理不尽な非難を聴く表情、鶏を買いにいった先で聴かせる声のトーン、バスのなかでの様子。いかようにも見える。フィジカルな負担も相当だったと思います、彼で「よそ者」を見られてよかった。
そしてファン・ジョンミン! ここのところ主演作がつづき座組のバランスを俯瞰するような立場が続いていましたが、『アシュラ』と今作では水を得た魚のよう。自分の持ち場を楽しんでいるようにも見えました。助演の方がのびのび出来るんだろうな。ハッタリではない霊能力を持ち、しかし金にはがめついシャーマン。聖俗あわせもつ複雑な人物像で観る者を惹きつけて離さない。ラストシーンにはぞっとさせられました。圧倒的だったのは祈祷のトランス状態。舞台出身ならではの身体性とリズム感で今作のハイライトシーンにもっていった。ありゃーすごかった…また曲がいいんだ。曲といっていいのか? 要は祈祷のために叩く太鼓のプリミティヴっぷりなんですが、逆転してレイヴっぽくすらあるわけですよ。これはアガる。い、一緒におどりたい……。普段着に着替えたときのナイキのジャージが気になりました(笑)。これがまたうさんくさくてよかったんだよね。
156分の上映時間が全く苦になりませんでした。こういうところも『沈黙』と似ているな。しかし「ここはカットしてもいいのではないか」と思えるシーンもちょこちょこある。全てに意味が込められているのは感じるが……序盤の車中での夫婦の営みやそれを見ていた娘と父の会話は、家庭における妻の母の存在や、娘の深層心理への影響を感じさせる。終盤の娘と父の思い出は、監督によると「(父へおくる)慰め」とのこと。主人公の同僚の警官や友人が語る噂話の再現シーン、終盤映る掌の傷はちょっと説明過多かな。
「悪霊」の実態。疑いによって訪れる混沌のなか、そこへ辿り着いた者はいたのだろうのか。いやーすごいものを観た。リピートしたいよー。
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さて、謎解きについて。
・『哭声 コクソン』超ネタバレ いちばん腑に落ちたというか膝を打ったのはこれ。『マルホランド・ドライブ』の謎とき(これとかこれ)を読んだときと同じ感動がありました。どうにもデヴィッド・リンチを連想することが多いが、ホンジン監督にはより筋道を通す意識を感じる。 オムツと字幕に訳されていた褌が何げに大きなヒントとなっていましたが、当初の台本では「(よそ者は)一糸まとわぬ姿」だったとのこと。このあたり、どう変化して整合性が生まれたのでしょう
・あと『哭声 コクソン』2chのスレッドが盛り上がっています。さまざまな解釈があり、バリバリネタバレしてるので完全に観たひと向け。こういうときは2ch面白いと思う…ひとの感想読むのめちゃ楽しい……
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・輝国山人の韓国映画 哭声/コクソン いつもお世話になっております! パンフレットには主要人物の配役しか書かれていないので助かります。 『The NET 網に囚われた男』にも出ていたあのひと、チェ・グィファっていうんですね。『釜山行き』や『トンネル』にも出ているようなので楽しみ
・國村隼インタビュー 『哭声/コクソン』の過酷な現場でも意識した「お客さん」の存在|SPICE 「脚本には、お客さんが戸惑うような流れがちゃんと書いてあるんですよ。だから、僕は脚本通りに演じる」。 モチーフとしての旧約聖書と新約聖書の関係性、舞台出身者である主要キャストとの共通点、そこからあらわれる作品へのアプローチ方法、観客を意識することについて。韓国の観客の反応がおかしい、「わあ!悪魔!ファンです!写真撮って!」(笑)
・國村隼の怪演を『哭声/コクソン』監督が絶賛「混乱もたらす聖書のイエスのような"よそ者"」ナ・ホンジン監督インタヴュー|webDICE 「イエスは歴史上最も混乱を与え、疑惑を持たれた人物」。クリスチャンである監督が今作を前に考えたこと、そして「被害者」について。 ジョンミンさんをキャスティングした経緯や、役者ファン・ジョンミンについてのアナライズも興味深い
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