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2016年11月30日(水)
『雨にゆれる女』

『雨にゆれる女』@テアトル新宿

半野喜弘初監督作。脚本、編集、そして勿論音楽も。近頃では珍しいハードボイルドメロドラマ。素性を隠して生きる男と、その日常に棲みつく女。変装し頑なな迄に無愛想な男は、その異質さで集団から浮き上がって見える。女もその昏さがむしろ人目をひく。雨を合図にふたりは近づく。互いに大きな傷を抱える火の男と水の女、一緒にいたのは二週間程。あっという間に距離が縮まり、あっという間に安らぎは断たれる。

実は女も素性を隠している。男の過去を知っていて、自身も偽りの名前をかたる。傷の在り処が明らかになるにつれ、死に向かう道しか見えてこなくなる。では、どちらが? 火と水がふれあえば、答えは自明だ。女の最後の台詞に一瞬困惑し、直後に激しく動揺する。ここを素通りするひともいるのだろう。あのひとことがふいに出る、彼女が歩んできた時間の過酷さを思う。傷は癒えない。

贔屓目もあるかもしれないが、こまごまとした疑問(それは省略でもある)を役者力と映像力が凌駕する。青木崇高と大野いと、どちらもひとになつかない。劇中姿を見せず、鳴き声だけでその存在を知らせるねこのようなたたずまいを見せる。ふたりとも凄まじい表情をする、それをしかとカメラが捉える。湿度が高く、陰影の強い映像。べっとりとはりつくような濃い闇の存在感が、光を渇望する。男の住居を固く閉ざす鉄扉が、女と暮らしはじめたある日大きく開け放たれる。外界のまばゆさ。目を瞠る。男は光と言うものを、そのとき初めて感じたのではないだろうかと思わせられる。

終盤の海辺のシーンが圧倒的。禍々しく、同時に神々しい光と影。時間とともにみるみる変化していく色彩。夜から朝になる限られた時間、これは一発撮りだったのか……ずっと観ていたくなる。しかし時間はすぎていく。忘れられない。撮影監督は山田達也。工場地帯のロケハン、男の住処の選択にも徹底した美学が感じられた。

似ている訳ではないけど、松本清張『断線』(松田優作がやったドラマの方)や中上健次『軽蔑』(原作の方)に胸を締めつけられたことがあるひとは、その感触を思い出すのではないだろうか。そもそも男の偽名が「健次」。あの路地にいる男女……パンフでも言及されていたが、どこ迄意識したのだろう。半野監督は永山則夫について語っていた。健次の本名は「則夫」だ。環境がひとをそうさせる、そう「なっちゃう」。しかし雨はどんなひとのうえにも降り、時間はどんなひとにも平等に流れる、とも言っていた。音楽は時間の芸術でもある。音楽家である監督らしい言葉。

映画館を出ると雨が降っていた。こういうの、ちょっとうれしい。

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・男の運命、タフに動く「雨にゆれる女」に主演、青木崇高:朝日新聞デジタル
確かにあの顔はすごかったな…素性がばれたとき、そして最後の顔。そして黒目力がすごかった。白目が全く見えず、黒目に映るハイライトだけが白く見える場面も。
ねこにえさをやったり、自販機に小銭をいれてあげたり、フライパンから直接食べたり、ケーキのセロファンをなめたり。「こんなにひととしゃべったのは久しぶりだ」と呟いたあと、劇中映る瓶のなかの金魚のように口をぱくぱくさせたり。このひとのどうぶつっぽい魅力も堪能出来ました