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2016年05月28日(土) ■ |
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『或る終焉』 |
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『或る終焉』@Bunkamura ル・シネマ1
『父の秘密』で2012年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを受賞した、ミシェル・フランコ監督作品。このとき「ある視点」部門の審査委員長を務めていたのがティム・ロスで、その才能に惚れ込んだ彼が今作の製作総指揮と主演を引き受けたとのこと。祖母の死に立ち会った監督自身の体験に基づき描かれた、死を迎える患者と特別な関係を築く、終末期医療に携わる看護師の日々。プロットの段階では、主人公の看護師は女性だったそうだ。
回復の見込みのない患者にのみ接する日々。喪失の日々でもある。淡々と、しかし患者の求めていること、望んでいることを確実に汲みとり、信頼を得る。患者は次第に心を開き、家族にすら話さないことを話し、家族に頼めないことを頼む。ふたりだけの秘密が増えていく。家族たちはそんなふたりの関係に戸惑い、嫉妬に似た感情すら抱く。死から死へと渡り歩くような緩和ケア従事者は、彼ら自身が患者に依存しているようにすら感じさえする。ただひたすら患者が安穏に死を迎えられるよう、真摯に働く。他人と接することを極力避け、その場限りの対話のために嘘をつき、その思い出を積み重ねる。憂鬱の層も積み重なる。
台詞は最小限、説明描写はない、音楽もない。少ない言葉のやりとりから、看護師と患者の関係の変化、看護師の過去と現在が少しずつ浮かび上がる。観客は耳をすまし、目をこらす。かすかな生活音から彼らが暮らす場所や環境を感じとり、落ち着いた部屋の雰囲気や近所の風景から、彼らの社会的立場を推測する。ティムを筆頭に、多くを語らぬ演者たちの静かな演技は、雄弁な表情と仕草により観客を惹きつけ、緊張感を持続したまま94分を走りきる。長回しが多く、「このシーンちょっと長いような…」と思い始めるギリギリにシーンが変わる。看護師が尾行している(、と思わせられるようなカメラの追い方なのだ)女性の正体が判明する迄の時間が長かったり、他人の家に「兄弟が建築した家なんだ」とあがりこむ彼の異常性を示したりと、まるで観客を手玉にとるような展開に少し違和感があったが、その狙いはラストシーンに繋がるものだ。
患者のケアは力仕事だ。重い身体を抱えて浴槽へ運んだり、寝返りをうたせたり。看護師は体力作りの一環としてなのか、ランニングを欠かさない。ジムのランニングマシーンで走っていたが、事務所を辞めてからは外を走る。引っ越しもしたし、とさほど気にならなかったこの変化が、ラストシーンに大きな意味を持つことになる。偶然か、それとも意図的か。衝撃的とも言えるこの幕切れにバイヤーたちは驚かされたそうだが、「驚く」という前知識を入れていたのにも関わらずそのショックは大きいものだった。ネタバレ掲示板の案内が映画館にあり、その入室パスワードからも、ちょっとした謎解きのような余韻が残る。しかしこの映画は「衝撃のラストシーン!」と煽るようなものでは決してない。ひとの命をどう扱うか、個人の生死を他者がどう解釈するか。扱いが難しい、やっかいな作品とも言える。原題は『CHRONIC』。看護師が常に抱える症状でもあり、心の動きでもある。
ティム、素晴らしかったなー。饒舌な役どころが多いイメージの彼が、繊細な事象を捉えるカメラを信じきった演技を見せる。患者たちが何故彼に心を開くのか、自然に納得させられる。送迎だけを依頼していた患者が、時間を経るにつれ彼を家に招きっぱなしになり、食事や、その後のくつろぎの時間をともに過ごすようになる。ソファに並んでテレビを観るふたり、そこへかかってくる電話をとる患者、その様子をちらりと見てリモコンに手を伸ばす看護師。視線の動き、手の動き、お互いを窺う表情。豊潤なシーンだった。
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