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2015年12月26日(土) ■ |
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NYLON100℃ 43rd SESSION『消失』 |
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NYLON100℃ 43rd SESSION『消失』@本多劇場
11年ぶり、全く同じキャストでの再演は幸福なことでもある。初演を思い出し乍ら、検証する気分ももって観た。細かい設定を忘れていてたまたまこの日のチケットをとったが、劇中に出てくる日にちでもあった。鳥肌。
ストーリーへの印象、感想は変わらず。作品の普遍性を大きく実感。初演は紀伊國屋ホールだったので、舞台の間口、比率等には開放感があった。役者がより熟し、若さ故の痛々しさが減った分、年齢、時間による絶望感が迫る。それは自分が過ごした時間も含まれる。蓄積した知識は何の役にたつのか、教師の職を失った女性を観乍ら考える。役にたつのだ、その話をすることで、形にならない豊かな感情をやりとり出来るのだ。そのやりとりをした相手と、いつか必ず別れなければならないとしても。
前述の「普遍性」。これが普遍だということも、ある意味幸福なことでもある。より切迫感があるかどうか。あるのだが、その強度を増し乍らもう11年経っている、とも言える。初演から再演の間に大きな災厄がいくつも(そう、いくつもだ)あり、それは日に日に不穏さを増しているが、この物語にはそんな現在でも感情を揺さぶられる。この作品の凄みを改めて知る。
「浮かれてたあ〜!」、「謝まられたら、許すしかないなあ〜!」ふたつの台詞が、時代の流れなど関係なく、いつ迄もいつ迄もあたりまえのこととして感動出来れば。暗転のなか、祈るような気持ちで目をこらした。ふと『フローズン・ビーチ』が観たくなった。『消失』がもう二度と上演されなるとき、それもまた幸福なことでもあるのかもしれない。
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以下よだん。
たまたま数日前、『杏仁豆腐のココロ』からの久ヶ沢さん流れで『燕のいる駅』DVDで観てたばかりだった。終わりに向かっている世界。その感触は翌日観た『ツインズ』にも強くあった。
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