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2015年03月11日(水)
National Theatre Live IN JAPAN 2015『欲望という名の電車』

National Theatre Live IN JAPAN 2015『欲望という名の電車』@TOHOシネマズ日本橋 スクリーン4

ロイヤル・ナショナル・シアター上演作品が日本で観られる! しかも『欲望という名の電車』を! と言う訳で行って参りました。平日夜の日本橋は建物に桜の映像がライトアップされていて(桜フェスティバルの一環だそう)華やか。

演出はベネディクト・アンドリュース、ブランチはジリアン・アンダーソン、スタンリーはベン・フォスター、ステラはヴァネッサ・カービー。上演劇場のヤング・ヴィック・シアターは可動式の舞台機構で、今回は円形仕様。中央の舞台をぐるりと囲む形で客席ベンチが据えられている。客席はおよそ八分割されていて、ブロック間に役者も出入りする通路がある。これはもう鈴木勝秀版・青山円形劇場での上演を思い出さずにはいられないところ。そのうえこの舞台、まわるのだ。役者だけでなく、美術も全方位晒される。よって書き割り等の装置は使えず、徹底したリアリズム。そしてその装置や衣裳は現代のもの。2DK程のアパートの一室、調度品も小綺麗で整然としている。ブランチはワンピースとジャケット、サングラス姿でルイ・ヴィトンのバッグをキャリーケースに積んで現れる。

それに反して台詞は当時のまま。ブランチはコードレスフォンで電話を掛けるが、繋がるのはミッチの家ではなく交換手。スタンリーはボウリングに行き、家に仲間を呼んでポーカーに興じ、その間女たちは映画を観に出掛ける。この時代錯誤とも言える初期設定が、戯曲の普遍性と強靭性をより一層浮かび上がらせる。ブランチとスタンリー、ブランチとステラ、ステラとスタンリーが交わす、戦争にも喩えられる激烈な言葉のやり取りは、初演から60年以上経った今でも何もかもが有効なのだ。台詞の耐性にそろそろ期限が近づいているのは、「偉大なるアメリカ合衆国」の国民である誇りくらいなものではないだろうか。

名前はいくらでもつけられる。DV、依存症、虚言癖。しかし、そこには絶対に当事者以外の介入を許さない壁がある。常に外部が意識される。家の外、家族の外、街の外。外部は常に闇だ。闇にはさまざまなものが潜んでいる。ご近所の目(=それは観客の目にもなる)、痴話喧嘩を繰り広げるユーニスとハベル、街の女、行商人。ブランチがスタンリーについて並べ立てる言葉は観客の爆笑を呼ぶ。円形仕様のため、画面には笑う観客の顔も映っている。そしてカメラは、絶妙のタイミングでその話を立ち聞きしているスタンリーの表情をクローズアップする。劇場中継と言うフォーマットでしか観られない入れ子的なマジックは、スクリーンの前の観客に鏡として映る。おまえもスタンリーを笑うのか? と。差別され、嘲笑される“ポーラック”は、妻にさえ豚と呼ばれるのだ。その妻ステラは、タイトルでもある欲望を体現する。吠えるステラはブランチがスタンリーを指して言う“ビースト”そのものだ。人間が持つ多面性が乱反射する。そのどこに焦点を絞るか? この作品は演出により、役者により毎回新しい発見がある。

浴室が「見える」、新聞集金人がコワルスキ家を訪問する直前街の女にからかわれる、あの名台詞(と言ってもこの作品は全編名台詞なのだが)「死の反対は欲望」を盲の花売りに語りかけるブランチ。これらの演出は初めて観た。ブランチとステラの言い争いがこれだけ激しいものも初めて観た。それらを得て強く思ったのは、この作品はステラが初めて家族を葬る話なのだと言うことだ。苦しみ抜いて死んだデュボア家の人々を葬儀のときにだけ訪ね、ベルリーヴを失ったことを事後に知るステラが、初めて家族が死に向かうさまを目撃し、初めて自らの意志で家族を送り出す。家族に引導を渡す痛切さを、これ程激しく感じたのは初めてだった。ヴァネッサ・カービー演じるステラは、喜怒哀楽を強く押し出す、生命力溢れる女性像。それは前述の台詞から解釈すれば、欲望の権化と言うことだ。タイトルロールとも言える見事な演技。

ブランチ役は、彼女こそブランチにふさわしいと思える役者と、彼女が演じるステラも観てみたいと思わせる役者がいる。ジリアン・アンダーソンは後者。医師に美しい発音で「ミス・デュボア」と呼びかけられたとき、その瞳に宿る一瞬の輝き(これを捉えたカメラに感謝!)は、死に向かう人物が一瞬見せた眩さだった。パンフレットに解説を書かれていた方は、この表情を見て「ブランチの更生」と言う希望を感じたと言う。成程そういう解釈をも引き出す表情だった。二方言話者(bidialectal)だそうで、声色も言葉遣いも変幻自在。スタンリー役のベン・フォスターは、前述したように差別され、嘲笑される傷付いたスタンリー像が新鮮でもあった。ブランチに対する感情に、憎みや怒りよりも悲しみや諦めがつきまとう。あの瞳には惹きつけられた。終盤ブランチを襲う場面で、彼女の顔をドレスで覆い隠す仕草も幾通りもの解釈が出来る。多面的な人物像で、興味深いところ。

ヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドの映画、ジェシカ・ラングとアレック・ボールドウィンのTVドラマ(90年代はVHSがレンタルにあったが、DVDは出ているのだろうか)を観ていたが、思えば日本語で上演されない『欲望〜』の舞台(中継)を観るのは初めてなのだった。「死にたくない」と訳されていた台詞は「Don't Let Me Go」で、ふと『わたしを離さないで』の原題(Never Let Me Go)を連想し、はっとしたのは新しい体験。「豚」を「pig」と「swine」で言い分けているのも今回初めて気付いた。あの流れから言うと「swine」の方がもっと侮蔑的なんだろうなあと思った…侮蔑的って言うか、知性のないおまえにはわからんだろって言いまわし。「盲が盲の手をひいて」が「The blind are leading the blind!」ではなく違う言葉に言い換えられていた(確か)ところには時代が反映されているか。
(20150313追記:あと「極楽(天国)」は「Elysian Fields」なのね。単純に「heaven」だと思っていた)

今回の演出は舞台袖がないので幕間以外の転換(家具の位置を動かしたり小道具を持ち込んだり)は役者たちが自ら行う。スタンリーに襲われたブランチはそのまま舞台に残るので、最後のあの美しい門出はどうなるのかなと気になった。果たして乱れたメイクはそのまま。思わずフランシス・ファーマーを連想してしまう。そしてブランチとフランシス・ファーマー両方を演じているジェシカ・ラングってすごいね……と思ったりした………。

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その他。

・ブランチの浮世離れした言いまわしはウケてたなー。ステラがケーキにたてるロウソクの数とかも。こういうとこは日本とも変わらないのね
・しかしなんで笑ったのか判らないところもあった。アドリブってんじゃなくてこちらからすると普通の受け答えに感じたところにドッと笑いが起こったり
・と言えば役者がマイク装着してたのはちょっと気になったな。ステラが着替えるときノイズが生じていたし。あのキャパでマイクはないだろう…収録のためのものかな

・スタッフクレジットにケーキ作成者(社?)があったのににっこりした。白くてかわいいシンプルなケーキ。劇中つけっぱなしのロウソクがどんどん短くなってってちょっとハラハラした
・ロウソクと言えば、鈴木勝秀版『欲望〜』でミッチを演じた田中哲司さん、素手でロウソク消してたよね! あれすごく印象的だった。どうやってたのか未だに気になる
・そうそう、パンフに篠井英介さんのお名前が載っていてほろり。杉村春子、大竹しのぶと、個性の違う俳優が「いずれも役に対する情熱がほとばしる演技だった」って

・休憩時間15分、その後二幕が始まる前に劇場紹介と芸術監督、演出家、スタッフのインタヴュー込みで202分。いんやこれが全く長く感じないのよ…この作品が好きだからってこともあるだろうが
・休憩中は、同じく休憩中の劇場がそのまま映る(画面隅に休憩時間のカウントダウン表示)。これをぼんやり観るのもなかなか楽しかったです
・余談だが公演初日前に「上演時間三時間越えです!www」みたいに鬼の首とったみたいに流れてくるツイートすごくいやなの…きらいなの……
・長尺の強さ、面白さってあるんだよ……
・ヴィック・シアターはラインナップと言い劇場機構と言い魅力的! 行ってみたいを思わせられる場所でした

・ナショナル・シアター・ライヴ 2015 OFFICIAL SITE『欲望という名の電車』

・Miller, David / A Streetcar Named Desire by Tennessee Williams full text
PDF直結
原書。扉にアランのモデルとも言えるハート・クレーンの詩が記されています

・韓ガーデン<コレド室町2>
おまけ。TOHOシネマズ日本橋が入っているビルの地下にあるお店、ここのトマト漬がすごくおいしいー。キムチって言うよりタテギ漬けって感じ。持ち帰り出来ますぜ

(20150313追記)
・The Departure: a short film starring Gillian Anderson

akiさんに教えて頂きました、有難うございます! ブランチが欲望という名の電車に乗り、墓場という電車に乗り換えて、極楽という駅に降り立つ、その前日譚