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2014年10月05日(日) ■ |
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『小指の思い出』 |
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『小指の思い出』@東京芸術劇場 プレイハウス
雨のなか地下連絡通路から芸劇に入り、そのままシアターイースト/ウエストの入場口を探してしまう。違った、今日の公演はプレイハウスだった。マームとジプシーの藤田貴大が、初めて手掛ける中劇場の演出作品。
いやはやよがっだ…よかったって言うかすごかった……帰り道一緒に行った友人との会話がはずまないはずまない。『業音』観たあとのあの状態になったわ……。考えてみれば『小指の思い出』も『業音』も車に撥ねられる話で、子殺しの話だ。藤田さんの演出により、野田秀樹の戯曲のダークサイド、残酷性が露になった。『小指〜』はグランギニョルでもあったのだ。親(保護者)が死んでしまったらどうしようと言う恐怖感。眠ると二度と目覚めないのではないかと暗闇に目を見開く子供時代。大きな声が正しいとされる社会。
そもそも野田さんの書くものは残酷だった。最初にこれら人間の残酷性をハッキリと演出にも反映させたのは『オイル』だったように記憶している。タイトルにも象徴されているが、『21世紀を憂える戯曲集』に収録されている『オイル』や『ロープ』、『THE BEE』と言った作品に、直截な表現が目立つ。しかし考えてみれば、『贋作・桜の森の満開の下』は夜長姫の嗜虐性が際立つものだった。『二万七千光年の旅』は人食を巡る物語だ。演出の美しさに惑わされ、それを「意識せざるを得ない」と言うモードで観劇することがなかった。
自動車と言う具体的なセットはあるものの抽象性の強い美術や、それらが最初布で覆われているところは野田演出を意識したのかなと思った。舞台両端にある高台は『走れメルス』を思い出した。記号かと思われた言葉や情景から複数の意味を浮上させるリフレイン、肉体を酷使する演者たちと言う特徴も共通点ではある。そしてどちらもテンポがいい。
そんな場から発せられ、いちばん心に響いた言葉は「こだまより速く、ひかりより速いのはいのり」。そして「こだまより遅いもの、それはのろい」。初演時ひかりより速い新幹線はなかった。こだま、ひかり、ときて次に速いものは、と言う問いに当時の野田さんはこの言葉を書いた。それを今舞台上で聴けたことに感謝したい。
ときにスピードが言葉をおいていってしまいそうなところもあった。それをひしと繋ぎ止めたのが松重豊、流石の牽引力。自在に言葉を操るスキル、それらを相対する役者、観客、音楽に差し出していくリズム感のよさ。佇まいも、滑らかな動きも、なんと魅力的なことか。あの長身からゆらりと伸ばされた右手の小指、その指紋がほどけて凧糸になっていく光景が見えるようだった…いや冗談抜きで。心眼を喚起させてくれる役者。スズキタカユキによる衣裳も素敵。スキニーなパンツ、脚の長さと細さにクラクラ。
飴屋法水と青柳いづみの二人一役(と言っても、そもそもは野田さんがひとりで母/聖子/子供/魔女と言う複数の役を演じていたのだ)も、グランギニョルを連想した所以だ。人形芝居のグランギニョル。どちらも容れ物になることが出来る。身体を他人に一切預けることに恐怖感はないのだろうか…と思わせられてしまう。宮崎吐夢は、ラウドな狂乱の場面から観客を現実に引き戻す術に長けていた。マーム組では正月と六月を演じた川崎ゆり子、伊東茄那が印象的。衣裳も相俟って双子のよう。このふたりで『半神』を観てみたいななんてことも思った。
どうなるかなといちばん期待していたと同時に不安でもあった「解像度が劇場のサイズに合うか」も楽々クリア。青葉市子、Kan Sano、山本達久のトリオによる音楽も空間を色鮮やかに満たしてくれる。開場〜開演の間に会場に漂う音もよかった。サントラCDがあったので買ったけど、聴いたら作品のダークさにとりこまれてしまいそうで怖くもある。音楽単体はとても優しくメロディアスだったのだが。この日寝る前、歯みがきするのが怖かった。眠るのが怖かった。近付く台風、雨の音のおかげで眠ることが出来た。
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よだん。パーマかけた飴屋さんを観られたのもよかったわ(笑)
よだん2。はみがき粉って洗ってもなかなか落ちないよね…衣裳が白く汚れているひとがいるのはそのせいでしょうか、とれないんでしょうか。日が経つにつれ白い部分が増えてくんでしょうか…って、それが狙いだったらすみません……
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