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2013年08月04日(日) ■ |
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『春琴 Shun-kin』 |
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『春琴 Shun-kin』@世田谷パブリックシアター
最終公演だそうです。2010年以外の三演拝見、2008年は一階席前方、2009年は三階席。今回は二階席で観ました。
佐吉と春琴の出会いのとこで泣いたのは初めてだったなあ…過去観た二公演では、お互いを生理的に必要としたふたりの関係性と変態性が強烈に感じられ、その辺りマクバーニーも意識的に演出していたと思う(それについては2008年の感想に書いた)。今回は佐吉の春琴への憧憬や肉体的に初めて接した女性への忠誠、そして一生彼女以外の女性とは交流しなかったと言うくだりが純粋に胸に迫った。これを一途な愛情だと安直には解釈出来ないが、他者が介入出来ない、ふたりの中にしかない閉じた世界を覗き見る感覚を持った。
とは言え、どこ迄意図したのかは判らないが、ちょっと興味深い場面があった。震災後この作品が上演されたのは初めてだったのだが、立石さん演じる女性が歳下の恋人と電話で話す場面で、「震災以降さあ、周りで結婚するひとが急に増えてさあ」と言う台詞があったのだ。「ああ〜(同意)」と言う笑いが起こった。自分の周りでも確かに多い、おめでたも多い。そういえば今回笑いの場面が結構増えた感じがした。観た回がたまたまそうだったのかな。春琴が生んだこどもが佐吉そっくりだった、と言うくだりで笑いが出た回は初めて観た気がする。
閑話休題。成河くんのメルマガにあったが、ホンにある漢字の部首迄追求し、その意味と解釈を議論し尽くすマクバーニー(このエピソード面白かったな、メルマガ以外でも公開されてほしいくらい)が、この台詞を単にイマドキの話題だからと言う理由で加えたとは思えないのだ…考え過ぎだろうか。震災によって命の危険を感じ、孤独を強烈に感じたから?自分の人生が急に愛しく、いや、率直に言えば惜しくなったから?生理的必要品としての他者を求める、セックスに限らずだ。その是非を問う訳ではないが、現象としてとても興味深い。春琴が佐吉を求め、佐吉がそれに従ったことの解釈としても、この新しく加えられた台詞は新鮮でした。
それにしても『春琴』でもあまちゃんネタを聞くとは思わなかった(苦笑)。NHKのラジオドラマを録音する、と言う設定だったからね。と言えば、ここってマクバーニーにはどう伝わってるのかな…うーん、やっぱり考え過ぎなのかな。
それにしても傑作だったなと、最終公演を観て改めて思う。もう観られなくなるとは残念です。いいチームだった。おつかれさまでした、素晴らしい作品を有難うございました。
そしてフジ帰りだったこともあり、トレント(か、あのステージプラン考えたひと)が『陰翳礼賛』を読んでいたら面白いなーと思ったりしました。NINのステージ、光と影の使い方がとても印象的だったんですよね。特にオープニング、スクリーンに映し出された五人のシルエット…のわー今思い出しただけで鳥肌たった。横にスライドさせるLEDスクリーンの移動も屏風や襖のように感じたし、黒子の存在にも日本的なものを感じた。そもそも今回のステージの参考となった『Stop Making Sense』が、歌舞伎に影響された演出だったそうです。日本文化に造詣が深いデヴィッド・バーンのいい仕事。トレントはもっと理系と言うか、日本の伝統文化よりテクノロジーの方に興味がありそうですね。それが融合するとああなる感じでしょうか。
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