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2012年09月23日(日) ■ |
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『浮標』 |
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葛河思潮社『浮標』@世田谷パブリックシアター
昨年の二月に上演された(一回目、二回目)、長塚くん演出作品の再演。吉祥寺シアターから世田谷パブリックシアターと、キャパも劇場構造もかなり違う場での上演になりました。
まず興味が行ったのはその劇場の違い。吉祥寺シアターでは舞台を見下ろす形で客席が組まれているのに対し、SePTは舞台の位置が高い。そして通常の座席の前にベンチ席が設置されている。この席だと確実に舞台を見上げる格好になる。キャストが全員舞台に立ち、長塚くんの前口上から始まると言う構成は変わらず。これが初演より効果的だったように感じた。と言うのも、この前口上には「現在から地続きで舞台を始める」と言う宣言と「長い作品だと構えている観客をリラックスさせる」と言う狙いがあったように思え、実際そのベンチ席はリラックスして観ないと身体がもたない(苦笑)。休憩時背伸びをしたり腰をとんとんと叩いてゆっくり立ち上がる観客がかなりいた。
長塚くんがベンチ席のことについて言及した際「すみませんねえ」等と言っていたが、思えばなんでこの席作ったんだろう…学生席とかだったのだろうか。単純な話、そこは気になりました。
自分はその後ろの通常座席でした。ホンの言葉の強さは初演と変わらずビシビシと伝わる。二回の休憩もリズムよく入り、観るコンディションも快適。そして台詞量は膨大ではあるものの、その言葉たちを噛み締める間と言うか余白がある。ただただ言葉を追うだけでなく、その言葉に対して自分がどういった思いを抱くのか、しっかりと自覚することが出来る。
吉祥寺シアターはステージをコの字型に囲む客席配置で、奥行きもステージと客席最後列が同じだったような憶えがある。今回二階席、三階席から観た場合どう感じただろうと言うことには興味があります。出番を終えた役者が舞台上の砂場を囲んで座っている際の「役」の表現は、表情の微妙な変化も大きな要素となるので、SePTのような広い劇場では伝わりづらかったかも知れません。遠くからだとただ座って次の出番を待っているだけに見えたかも。
キャストは約半分が初演と入れ替わり。恵子の衣裳が洋服から和服になっていたりと、役者に合わせたのであろう変更もちょっとありました。お貞と恵子の、美緒に対する振る舞いはちょっとしたさじ加減で印象が変わる。美緒の病状を心底案じているのは真実、しかし結核は怖い。死に至る病なのは周知であり、財産分与についてハッキリさせておかねばならない。これが瞬間瞬間で表に裏にと顔を出す。ここがなかなか…今回辛い方に向いた。意地悪さの方が強く出たなー。しかしこれ、演者の解釈もあれど観る側の心情も反映されているかも知れないな。
思えばこれの初演、昨年の震災のひと月前だった。ものすごく前のことのように感じる。そうだ、五郎の家は海辺のすぐ近くだった。そして先日観た『エッグ』からも連想される、近付く軍靴の音。情景描写とその背景が、予想していたこととして感じられると同時に、予想を遥かに上回ることを夢想する領域へ拡大していく。波の音は激しく美しく、そして永遠であるかのように反復する。それは今であり、遠い昔のことであり、自分が知ることの叶わない遠い遠い未来でも変わらない営みにも思える。生まれて、見送って、見送られて。その繰り返し。
『浮標』戯曲は青空文庫で読めますが、この程ハヤカワ演劇文庫から発刊されました。長塚くんの演出ノート等も掲載されているとのこと。
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よだん。
松雪さんを見て「あー松雪さんこないだジェレミーと会って、『彼女にだったらボコボコにされてもいい』って言われたんだよなー…お似合いだったなー……(身長的にも・笑)」と思ったのは内緒です。いや、終演後ですよおほほほほ。
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