初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2012年03月18日(日)
『パーマ屋スミレ』

『パーマ屋スミレ』@新国立劇場 小劇場

ズッシリよい舞台でした。鄭義信さんが新国立劇場に書き下ろした、在日コリアン三部作と言っていいかな。それの三作目。一作目『たとえば野に咲く花のように』、二作目『焼肉ドラゴン』を逃したのが悔やまれます。『焼肉ドラゴン』は再演迄しているので、再々演は当分ないかしら……。

時系列では一作目と二作目の間にあたる今作『パーマ屋スミレ』。1960年代半ば、九州有明海を一望出来る、「アリラン峠」と呼ばれる炭鉱の街のお話です。故郷を出て行った、現代の大吉(役名表記は大人になった大吉と言う意味でしょう、「大大吉」となっています)が語り部となり当時を振り返る。大大吉は思い出の風景のなかに入り込み、屋根の上から、車の陰から、窓の傍から、街のできごとを眺めます。ときには懐かしむ笑顔で、ときには苦しく悲しい顔で。そこには若き日の自分(大吉)や、大吉の家族、親戚、街のひとびとが当時の姿のまま暮らしています。

大吉は、大大吉が説明するように「太めの、ちょっとオカマっぽいところがある、ファッションデザイナーを夢見る青年」として現れます。大大吉の風貌から、大吉がデザイナーの夢を諦めたことは容易に想像がつきます。彼に何が起こったのだろう、彼はどういうふうに故郷をあとにしたのだろう。故郷では何が起こった?軸となるのは大吉の母親と妹たち、そしてその家族。大吉の叔母となる須美が営む理容店が舞台です。その時代と炭鉱住宅でのくらしを反映させた装置、小道具のひとつひとつが素晴らしい。ときどきうざったくすら感じられる玉暖簾、理容院の道具類、マッコリを仕込んだ甕、魚を焼く七輪、水を汲む井戸、餅つきの道具。具象で細部迄作り込まれています。そういえばあの三輪トラック(かわいい)どうやって動かしてたんだろう?エンジン音は効果音だったので中にペダルとかついてたのかな。

登場人物の口調は怒鳴りがデフォルト。声が割れているひとも多い。炭鉱に関する専門用語が多く、朝鮮語が混じるところもあり、しかも北九州辺りの方言がマシンガンのように繰り出されるので、序盤はうへえ何言ってっかわかんねー!とあわあわ。いやーわたくし九州出身者ですけども、それでも聴き取るのに難儀しました。そんな彼らの出自を大大吉がちょー早口で説明。炭坑作業のため祖国から労働者として強制的に連れて来られた朝鮮人、自ら志願してやって来た朝鮮人、炭坑労働者の日本人、彼らと家族を持った朝鮮人や日本人たちです。しかもなんかひとによって違う名前で呼んでるような…特に男性の登場人物……誰がなんて名前だー!とまたあわあわ。休憩時パンフを開くと、須美の夫である成勲はキャスト表には「ソンフン」とルビが振ってある。成勲の弟は英勲で「ヨンフン」。成勲は「なるさん」と呼ばれてなかったっけか…日本語と朝鮮語の発音が混在していたんですね。これは混乱するわー。このあたり、土地柄と人柄を強調する狙いだと思います。観客をストーリーに引きずり込むパワーはすごいものがありました、あっと言う間に術中にはまった。

故郷を捨てたとも言える語り部が登場する構成は『ガラスの動物園』を、三姉妹が見知らぬ祖国への思いを胸に今の土地で生きていく姿は『三人姉妹』を想起させますが、舞台に濃厚に存在するのは、あの時代の炭鉱の街――筑豊・三池――の空気です。

須美には「ポマードの匂いがしない、理容院ではない」美容院、パーマ屋を開くと言う夢があります。店名も「パーマ屋スミレ」と決めている。成勲はアロハとパナマ帽が似合う遊び人な風貌で、先山(炭坑でのリーダー的存在の熟練者)として誇りを持っている。須美の妹晴美と夫昌平は、炭坑仕事で8時間会えないのすら寂しがるラブラブっぷり(ここの描写『祝女』の「ドラマチックカップル」を思い出した・笑)。須美の姉初美は大吉の父親と別れ、炭鉱の組合を取り仕切る恋人と暮らしている。苦労は多いけれど明るく暮らす彼らを、ひとつの炭坑事故が徐々に押しつぶしていきます。

炭塵爆発によりCO(一酸化炭素)中毒患者となった成勲と昌平。発症時期や種類が個人によって違ったり、長い時間をかけてじわじわと悪化する一方のこの後遺症は、全貌が把握されていなかったためその後の補償に大きな問題を残します。障害等級を決定しても、一見して判るような症状ではない患者が「ニセ患者が金をもらって呑気に暮らしている」と陰口を叩かれたりする。実際は激しいめまいや頭痛が続き、とても労働出来る身体ではないのです。そのうちエネルギー産業が石炭から石油へ移行、炭鉱自体が閉鎖され、患者とその家族は企業から、いや国から見捨てられた状態になる。この辺り、意識せずとも現在を照らし出しているようにも感じました。事態は何も変わっておらず、繰り返されているのです。

七場から成る舞台は暗転するごとに時間が進む。照明が明るくなる度、現れる成勲と昌平が少しずつ変わっていく姿に胸が締め付けられるようでした。普通に歩いていたひとが、笑っていたひとが、脚をひきずりはじめ、喋れなくなり、リヤカーに乗せられ、車椅子になる。発作が出ると大暴れして周りのひとを傷付ける。苦しみ抜く昌平に請われた晴美は彼を絞め殺してしまう。脚が不自由な英勲は、社会主義に理想を見出す「北」へ戻ることにする。

ひとりまたひとりと街から離れていくなか、成勲は「炭鉱を離れたくない」と願い、須美はそれに寄り添います。後遺症が悪化し、炭坑夫としての仕事も誇りももぎとられた成勲は、何度も離婚を提案し、須美につらくあたります。プライドが高く、素直な感情を出すのが得意ではない成勲は、事故に遭う前から須美へかなり酷い言葉や仕打ちを投げ続けるのですが、須美はそんな成勲の味方でい続けることを選びます。成勲のプロポースの言葉「どんなことがあっても俺はおまえの味方だ」を、須美は夫に返し続けるのです。

須美を思い続けていた英勲に成勲が「須美はおまえにくれてやるから北へ帰るな」と言って殴り合いになるシーンが素晴らしかったです。不自由な身体同士での取っ組み合いなので、アクション含め演者は大変だっただろうと思いますが、長身なふたりの動作の流れがはっとする程の美しさでした。成勲は須美のこと実際どう思ってるの?と迷い乍ら観ていたのですが、この殴り合いは、視覚的にも一筋縄ではいかない成勲の思いを的確に表現していたように感じました。成勲は不器用なんだ、一連の言動は須美を思ってのこと、英勲を案じてのことなんだ。須美はきっとそんな成勲の傍を離れはしないだろうと確信したシーンでした。栗原直樹さんの擬闘によるこの殴り合いは白眉でした。

皆が街を出て行き、あれだけ騒がしかった街がしんと静まり返る。理容院にいるのは成勲と須美のふたりきり。すっかり身体が動かなくなった大柄な成勲(顔にも麻痺の症状が現れ始めている)を、華奢な須美が抱えて理容椅子へ移動させ、髭をあたる。「さびしくなったね」「さびしくないよ」。静かなふたりのやりとりは、それ迄の苛烈な季節を思い出として呑み込んだような、揺らぎのない穏やかさでした。数年後成勲は合併症で亡くなり、須美は今もこの街でくらしている。開店することのなかった「パーマ屋スミレ」、生活のためにデザイナーの夢を諦めた大大吉。客席にお尻を向け両脚をガッシと開いて立ち、日々の労働をこなしていく彼女は逞しく、そしてとても美しかった。そんな彼女の生きる姿が、大大吉の心の支えにもなっていることが最後に語られます。

いい脚本をいい役者がいい演出で演じる。このバランスは難しいものです。いい脚本を演出や演者が台無しにすることもあるし、勿論その逆もある。技巧が鼻につく場合もある。しかしこの舞台では、巧い役者の巧さをここぞと言うところで使うしっかりとした演出家の判断があり、演じる方もそれに存分に応えている。開場と同時に朴勝哲さんと長本枇呂士さんによる生演奏と歌が始まり、二幕に入る前には、そのふたりが水が飛び散るシーン用に客席前列に配布されたビニールシートの扱いを軽妙にレクチャー。たったひとことで屈強な労働者を泣き崩れさせる青山達三さん、全ての思いを断ち切り、未知の祖国へ夢を託す暗さと明るさを静かに発光させた石橋徹郎さん。根岸季衣さんと久保酎吉さん、星野園美さんと森下能幸さんの絶妙なコンビネーション。

酒向芳さん、美しい姿勢と深い声から悲しみと喜びを感じさせる素敵な大大吉でした。RGを思い出すいいキャラクター(笑)大吉を演じたのは森田甘路さん、ナイロンの若手くんだった!面白かったわー。松重豊さんは人生の年輪を色気に熟成させる役者さん。ラブシーン上手くなったよね…『カラマーゾフの兄弟』のときのあの堅さは今でもよく憶えており、いい思い出です(笑・としよりがふりかえる)。舞台で観るのは久々だった南果歩さんはそう、このひと舞台ではすごい骨太な役者さんですよね!格好よかった!

客人をもてなすため、テーブルの脚が折れる程の料理を出すと言われるコリアンのサービス精神を体現するかのような、懐の深い座組。雑多な街並にくらすひとびとの光景は、とても美しいものでした。

あと松尾スズキさんこれご覧になるかなー、大人計画の公演中だから無理かな…松尾さんの原風景が舞台だったので。ご覧になってどんな感想を持つのか知りたかったりもします。