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2011年12月15日(木) ■ |
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『深呼吸する惑星』 |
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第三舞台 封印解除&解散公演『深呼吸する惑星』@紀伊國屋ホール
開演20分前程に到着し、ロビーに鴻上さんがいるのを確認し、物販でパンフレットとトランプを買い、置きチラシ類をひととおり見て劇場内に入った途端「More Than This」が流れ出して狼狽。ちょ、心の準備が…気をしっかり持て……。ごあいさつを読む。折り込みチラシを眺める。出演者や演出家が次に手掛ける作品のチラシも入っている。姉が来たので話などして、敢えて気が散ることをする。思えば第三舞台も夢の遊眠社も、ひとあし早く上京していた姉から話を聞かされたものでした。
リピートの予定はなし、一回こっきり。細かい小ネタ(絶対あるだろう)もなるべく見逃したくないので、泣いてる暇はないわよー。と思っていたけど、あのオープニングでもうドーンと。いやホント遅刻厳禁ですわ。そしてこの幕開けのシチュエーションにはつい『東京サンシャインボーイズの罠』を思い出した。彼らも礼服をすんなり着こなす年齢になったのだ。別れのときが来た。
しかしその後は終盤迄泣かずに観られたよ。完全にネタバレシャットアウトしていたので、ギャーとなることも多々ありそういうところも楽しかったです。本当に楽しかった。映像に出て来たあのふたり、役者たちのあの動き、登場人物の名前や関係性、さまざまなことが思い出される。舞台上に立っていないひとたちのことも思い出す。
個人的に「うわあ、第三舞台だ!今私は第三舞台を観ている!」と実感したのは、ヘンなところだけど筒井さんのパンプスに透明のビニールテープ(多分)が巻かれてあるのを見たときでした。ダンスの際に脱げないよう固定してあるの。今でこそ透明のビニールストラップってあるけど、当時はなかったものね。それにストラップとはちょっと違って、ぐるりと靴を一周しているのだ。後々劇中にダンスがある公演で見掛けることもあったけど、あの靴の仕込みを初めて見たのは第三舞台だった。
SF。連想される作品があった。それは事象がモチーフとして扱われているだけで、ストーリーの流れは違う。勿論結末も違う。いつも元のなにかがある訳ではないし、今でも全部は判らない。しかし自分も知っている事柄から発想されたものなのかな、と思えるものが舞台に載っていることが嬉しくもあった。私も歳をとり、知っていることも多少は増えている。無駄にこの十年を過ごしてはいなかったのだ、と思えた。第三舞台に再会したときに恥ずかしくない自分でいたいとか、そんな畏まったことを考えてこの十年を過ごした訳ではなかった。それでも生きていれば、全く成長しないと言うことはないのだ。
これ迄の作品に出て来た人物やものごとの面影を端々に感じさせ乍ら、これからのことに目を向ける。とてもとても優しい目線。根っからの悪人はおらず、皆懸命に生きている。そして未来に対して絶望を抱かない。諦めも選ばない。そして、ひとを信じることをやめないでいる。信じるための強さを、自分の弱さを認めることで手に入れる。ひとりで立ち続ける。
興味深かったのは、高橋くんの役をあるイヴェントに参加させようとする辺りの展開。政治的に利用する方向へは行かずに、共生の象徴として喜ばしいことだと思う素直な感覚を、小須田さんの役は持っていた。そこには好意的な笑顔だけがあった。悪意や思惑がない。それによって何かが壊れるかも知れない、涙を流すようなことがあるかも知れない、と言う思いが心の片隅にあったとしても、それを引き受けようとしている笑顔。脚本も演出も、演じたひとたちのありようも。この劇団の資質を表しているような気がした。祖国なき独立戦争を続ける者たちに寄り添い、彼らの涙を拭うハンカチだ。
高橋一生くんを客演に迎えたことは効果的だった。若い世代へのバトン。そして若者の姿のままで時を止めている「彼」への思い。大きな役回りだ。
第三舞台をリアルタイムで観られたのは二十年。全ての作品を観ることは出来なかった。熱狂的なファンに気後れしていた自覚もある。しかし彼らはそんな一観客に、最後の公演を観る機会をくれた。この二十年間をどうにかくぐり抜け、あの頃はバカだったねえ、でも若いなりに真剣で必死だったんだ、無駄なことじゃなかったんだと笑い合える場を、第三舞台は最後に用意してくれた。そのことにただただ感謝します。紀伊國屋ホールが残っていたことにも。有難うございました。第三舞台に会えてよかった。
帰宅したらバッグからキリアスの花弁が出てきた。おみやげだ。舞台を観るのはこれで最後ですが、大千秋楽ライブビューイングには是非参加したいです。
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