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2010年10月16日(土) ■ |
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『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』 |
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遊園地再生事業団 #17『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』@座・高円寺 1
眠りについてのインタヴュー。眠ら(れ)ない男3人、いつも眠っている男、異常なほどよく眠る女、思わぬ場所で不意に眠ってしまう女、いままさに眠っている女、セカイでいちばん眠い場所をしっているという女。そして製薬会社の営業マン、インタヴューを撮影するカメラマン。
練炭で集団自殺を図った一団の記事から連想される、ある人物についてのモノローグ。それによって完成させられなかった小説について。セカイでいちばん眠い場所をしっているという女と眠らない男のセラピーのようなダイアローグ。ダイアローグはモノローグのようで展開される。いつも眠っている男にインタヴューするカメラマン、思わぬ場所で不意に眠ってしまう女の状況説明。それぞれのシーンを時系列を無視してランダムに提示する。シーンが提示されている間は、後方スクリーンにチャプターナンバーが映し出される。何層にもわたる出来事、時系列から解放され行き来する思想。
そのように構成されているように見える…が、そうではない。ストーリーがあるようでない。と言うか、意識的にストーリーを避けている。テキストには膨大な引用と参照があり、それはオープンにされている。今敏監督の遺言『さようなら』から夏目漱石、安部公房、川端康成、チャンドラー、ポー、ベケット等の小説、睡眠障害や薬物についての文献迄多岐に渡っている。宮沢さん自身が睡眠障害だと言う。眠れるひとへの興味、眠れないひとへの共感、発端はさまざまだろうが、答えはどこにもないようで、どこにでもあるようにすら感じる。それぞれが、自分の答えを持っていて、それを見付けられないでいる。或いは見付けていると思っていても、それは“正解”ではない。例えば、わかっていても眠れなかったり、わからなくても薬物で眠ることが出来たりする。心のせいで眠れなかったり、身体のせいで眠れたり。頭では解っている、身体では解っている。しかしそれらは相反することもある。
淡々と話す役者たち、淡々と進む構成、眠りを誘われそうでいて、観ているうちに頭が冴え冴えとしてくる。そして淡々としている登場人物が異様に記憶に残る。客演の伊沢磨紀さんややついいちろうさんの存在感は流石だが、とにかく全員が強烈で、視線の分配に困る。
林巻子さん(!)の美術、よかったー。モニターとスクリーン、椅子のシンプルな構成だけど、すっきりしていて美しい。最前列だったので、もうちょっと後ろで全体を観てみたかったな。桜井圭介さんの音楽はオリジナルと選曲がありましたが、その区分けみたいなものは何だろう、と思った。選曲も桜井さんなのかな、それとも宮沢さん?大音響のマイブラ、エディット・ピアフの「水に流して Non, je ne regrette rien」(これは『インセプション』の“キック”を連想させますね)。この辺り“眠り”を意識した選曲だったのは間違いないだろうけど、それをハッキリ連想させる既知の曲たちと、桜井さんの曲とのバランスが不思議な、と言うか奇妙な落ち着きのなさを感じさせもした。この気持ちよさと居心地のわるさ、宮沢さんの作品によく感じる。
それにしても、枕で殴り合いってなんであんなに楽しいんだろう(笑)。
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