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2010年03月28日(日)
『黒髪譚歌』

Postmainstream Performing Arts Festival 2010 山川冬樹『黒髪譚歌』@VACANT

鎮魂歌は続く。前日観た展覧会についてのインタヴューで、森村さんは「レクイエムとは、過ぎ去ってしまった人や時代や思想に対する敬意の表明です。しっかりとそれらを記憶に残す儀式です。『私はあなたを忘れません』ということの証としてのレクイエム」と話していた。そして、「芸術家的立場というのは『私的世界から発して社会に至ること』だと私は思っています。『私的』だから、一般論ではありません。一般論ではないから、誰にでも同じ解答となる科学とは異なります。しかしその私的世界が、私的に生きられた手応えとして観る人に伝われば、人は動く」とも。

『黒髪譚歌』は、非常に私的な内容に思えた。山川さんに何が起こり、そして何故この表現に到ったかを見せてもらえた。そしてこちらは、前日に髪を切り(偶然だが)『なにものかへのレクイエム』と名付けられた作品の展覧会を観に行った状態で『黒髪譚歌』に立ち会った。非常に私的な視点で観ていることになる。そして全ての観客が、それぞれの私的な経験を抱えた上で同じ作品を観ている。どこ迄踏み込んでいいのか?とも思う反面、これだけパーソナルなことを他者に見せてくれるのだから、こちらもガッツリ向き合わなければと思う。

2007年8月20日、あるひとの棺に納めた髪。名前は出さなかったが山口小夜子さんのことだろう。それ以来切っていない髪についてのあれこれ。フロアの両端にステージ、それを横断するランウェイ沿いに客席を設置。山川さんはステージを行ったり来たりし乍ら、腰迄ある長い髪を連獅子のように振り乱し、ギターを弾き、骨伝導マイクを通した体内からの音でリズムを奏で、電子聴診器で拾った心拍音でキックを刻む(その際心拍のスピード、強さは自身が意図的にコントロールしている)。「アカシアの雨がやむとき」の弾き語りはホーメイの喉で唄われ、倍音が力強く響く。比喩ではなく全身音楽家。

各シークエンスのセッティング中には、髪にまつわる街頭インタヴューの映像や、髪をビジネスにしている中国人のドキュメンタリー映像が、上方に設置されたモニターに流れる。何故髪を切るの?何故髪はビジネルになるの?開場時からフロアに流れていた、スピーカーを通した外国語らしき呼び込みが、その中国の髪買いによるものだと気付く。それはとても印象的な響きで、今でも耳に残っている。

ランウェイの中央で髪を洗い(シャンプーはTSUBAKIだった(笑)ご本人のTwitterによるとシャンプーより石鹸派だそうですが)、曲間ドライヤーで乾かしてもらい、ひとふさを切り取り弓を作り、それで楽器(胡弓より大きい…馬頭琴かな)を演奏する。そして終盤、山川さんは髪についてつぶやく。「何故髪を切るのでしょうか。気分転換のため、自分を変えたいため、愛するひとを忘れるため、愛するひとを忘れないため、愛するひとに捧げるため……」和服姿の女性(恐らく山川さんのお母さま)が現れ、2007年8月20日以降に伸びた髪を計ってジョキ、ジョキジョキ、ザクザク、と切っていった。

髪を切る理由についてのさまざまなつぶやきの中に、前日自分が髪を切った理由があったような気がする。普段は伸びたから切る、程度の習慣だが、今回はちょっと思うところがあってのことだった。会場で見掛けた飴屋さんも、髪が短くなっていた。私的な表現に対して、私的な感想を持つ。ひとつしかないやりとり。二度とないやりとり。あの場にいることが出来てよかった。