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2010年01月21日(木)
『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』プレヴュー初日

阿佐ヶ谷スパイダース『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』@本多劇場

プログラム等に目は通していません。なので的外れなことを書いているかも知れませんが、予備知識なしの印象を大事にしたいのでまずはこれで。楽日にもう一度観ます。

休憩なし130分、プレヴューでの反応を見つつ手を入れると事前に言われていましたので、変動あるかも知れません。当日券は基本毎回出すとのこと。この日は通路迄びっしり埋まっていました。通路使いの演出があるので、役者さんがよいしょ、って感じで通ってた(笑)。

留学の成果を見せる的な意気込みもあったと思いますが、それにしてもこういったアプローチで来るとは。いや、気配は阿佐スパの前作『失われた時間を求めて』や、留学中に仕上げたと言う『桜姫 清玄阿闍梨改始於南米版』(こちらは串田演出でしたが)からあるものだった。ワークショップを重ねることで構成していったそうなので、前述のプレヴュー云々のことから考えても、初日迄の時間がまだあったらまだまだ発展する部分があったのではないか、と思わされたところもありました。しかし今回やりたかったこと、の提示は明確にされていたので、留学後の第一作として納得出来るものでした。

長塚くんってやっぱりクレヴァーなひとだよなあ。今後こういった形で続けて行くのかは判らないが、これからの長塚作品がどうなっていくのか興味はある。

長塚作品おなじみのグロテスクな描写はありますが、今回は、これ迄の視覚的なショックを招くようなシーンはそれ程多くはありません(それ程、ですが)。しかし、視覚的なものよりも、言葉で表現されるそれの方が遥かに恐ろしく、おぞましかった。あ、一歩進んだ。と思った。どんなヴァイオレンスよりも、ひとの心の奥に潜む欲望の方が数倍強いのだ。それは裏を返せば、どんな暴力にも人間の心は打ち克てると言うことでもある。それ程ひとの心と言うものは強靭で自由なものなのだが、そこに到るには様々なものを失うことになる。平たく言えばそれは正気、であったり、関係性、であったり。そうして迄生きていく意味はあるのか?作家にとっては、大いにある。そして作家の周囲の人間は、それを焚き付け、誘導すらする役割を自覚している。それは作家への愛情なのか、そうなる作家を見たいと言う自分の欲望なのか。

台詞によって人間の欲を表現するパートを主に演じたのはイケテツさんだったのですが、もうズッパマリでした。やっぱりこのひとすごいなあ。淡々と、人間の好奇心としての欲をひとごとのように、しかしそれは自分のことに違いないと、そしてそれはこれを観ているあなたも同じだと言われたような気すらした。

あーこの辺り、『sisters』のことも思い出したな…上演された当初、「近親相姦と言う少女マンガのような展開をキレイごととして描いている」なんて批判もあったけど、あれって注意深く観ていたらそんなもんじゃないと気付く筈なんだ。あれは間違いようのない性的虐待で、登場人物たちはそれぞれを正当化するために必死で、それこそ死にものぐるいで“キレイごと”を主張する。その主張には、それぞれの全存在が込められている。馨は、性欲処理の道具として父親に“選ばれた”と思い込むこと。美鳥は、自分は父親を“愛している”と思い込む―それは父親によって無意識に“勘違いさせられている”こと。ふたりはその主張を失ったら生きていけない。一方美鳥の父親の“キレイごと”は、文字通り言葉が上滑りするような言い訳にしか聞こえない。その主張に彼の存在価値等なく、それを奪われても生きていけるからだ。

文字だけだったら、正直それに気付いたか判らない。あれは書かれた言葉の力と、それを身体に入れて声にした演者の力の相乗効果のようなものがあった。今回のイケテツさんの表現には、その力があった。

役者さんたちはしんどかったのではないかなーと思いました。やり甲斐はすごくあったかと思います。役者ってやっぱりどMだよね…そんで長塚くんは演出家としてはどSで作家としてはどMですね(笑)。

タイトル通り時間軸がいったりきたりし、それがストーリーの流れかすら曖昧になっていくのを追う面白さがある分、観る集中力がかなり要ります。乗り遅れたらきっと寝ます(笑)。

セットは抽象(二村周作さーん!てなモノトーンの美術よかった)、小道具も使う時とマイムの時がある。あと面白かったのは、舞台転換を逆手にとったところ。基本舞台上での“移動”は、セットが転換され、そこに役者が入っていくことで表現されるが、今回同じセット(机、椅子)を両端に一対ずつ置き、そこに役者が直接移動することで空間をねじまげるパートがある。前のセットに三人いたところ、二人が後のセットに移動し、もといた一人が「不在」になる。この辺りは想像力で自在に遊べる舞台の楽しさがありました。そういう試みが随所に散りばめてあります。まさにワンダーランド。

■よだん
『キャッチボール屋』を観ているひとは、序盤の光石さんを見て思い出すことがあると思います(笑)あれ、冒頭の緊張感あるシーンだったのにちょっと笑いそうになった…