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2009年09月17日(木) ■ |
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『宮城野』初日 |
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『宮城野』@草月ホール
おお〜これはよかったです。初日ならではの緊張感も強く、台詞舞台が初めて、しかも和物、と言ったプレッシャーもあったか、草刈さんは固い部分がありました。台詞の噛みも多かった。しかし演出意図がハッキリしていること、それを役者陣もしっかり把握していることは伝わったように思います。戯曲の多面性が的確に浮き彫りになっていました。
以下ちょこちょこおぼえがき。若干ネタバレあります。上演時間は80分、一幕で休憩なし。
・横川さんも生演奏で参加。ちょっと即興ぽい部分もあり、役者もそれに呼応します ・協力クレジットに篠井さんの名が。所作指導かな ・『ザ・ダイバー』と続けて観るとヘコむで〜(苦笑)
神との約束を何がなんでも守る、と言うくだりは、グレアム・グリーンの『情事の終わり』を連想させるものがありました。矢代静一がクリスチャンだからかも知れません。『宮城野』が書かれたのは1966年(初演は1970年)、彼が洗礼を受けたのは1969年だそうです。
しかしその、自己犠牲を神々しいものとして扱いつつも、その裏には「貢献欲」がある、と言うところをしっかり描いていたところが面白かった。宮城野は七歳の時に奇蹟を体験して以来、常に貢献欲に駆り立てられることになる―「アレが好き」。神さまか仏さまは、奇蹟と引き換えに彼女に貢献欲を植え付けた訳です。ある意味神さまって罪ね〜と言う話でもあります。
しかし祈りの言葉から判りますが、宮城野にとっては、神さまでも仏さまでも、どっちでもよかった。そして実際のところ、あの奇蹟が神の御業かは誰にも判らない。種はもともと彼女の中にあって、芽吹くきっかけを待っていたとも言えます。つまり避けられなかった。それは彼女の育った家庭やその暮らしに無関係ではない。そしてそれは彼女自身の力では選べない。献身に命を賭ける宮城野の姿は美しい。そして哀しい。
そんでまあこの図式で行くとぶっちゃけ矢太郎はだめんずな訳ですが(苦笑)、それで片付いていないところも面白かった。矢太郎の「あばよ」の前の告白は、ああ言わない限り宮城野は“貢献”し続けることをやめないからだともとれます。そういう面から見ると矢太郎いいやつ。絵の才能もあった訳ですし。しかし個人的には宮城野に肩入れしてしまうなー(泣)まあ宮城野も「男は女におかあさんかおねえさんを見る」と自覚的でしたが。
80分の中にこんだけの要素がみっしり詰まっている。濃いです。今回上演台本のクレジットがありませんが、構成なしかな。矢代さんはこの作品をきっかけに、その後『写楽考』『北斎漫画』『淫乱斎英泉』の浮世絵師三部作を発表している。『写楽考』はこないだ舞台で、『北斎漫画』は映画で観たけど、『淫乱斎英泉』だけ未見だー。先日の鈴木裕美さん演出版を逃したのは痛い。
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