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2008年08月13日(水)
『女教師は二度抱かれた』

『女教師は二度抱かれた』@シアターコクーン

虚構として提示されたものと了解して観ている。しかしどうしても真実と言うものはにじみ出てしまうもので、しかもそれを正面切って書くのは恥ずかしいから、歌に載せたりギャグを挿んだりする。そうして迄言いたいことがある。時折見える言葉の美しさ、人間の醜さ、まっすぐさ。

あと反射で笑わせて直後に罪悪感を煽るものの書き方が巧いよなあ。巧いと言うか、それがあたりまえなのかな。覚悟して笑うなんてことはそうそうない。そして、その罪悪感を自虐としてまた笑うことは可能だ。で、そういうものを書く松尾さんと組む役者は、松尾さんに私と心中してよと言われているようなもので、小手先でちょいちょいと出来るものではない。『業音』でも思ったけど、この愛は重い。それ故これっきり、のひともいるだろうから、続けて仕事をしている大竹さんの怪物的な女優力、と言うのはものすごいものだよなあ。

『ニンゲン御破産』の時にはちょこちょこあった、歌舞伎役者を歌舞伎役者として扱うネタを完全に封じていた。決して筆を滑らせなかったのがすごい。それを受けて一切歌舞伎的なネタを使わなかった染五郎さんもすごい。その歌舞伎役者の前で歌舞伎役者を演じると言う、ある意味むちゃくちゃ勇気の要る役を演じ飛ばしたサダヲさんもすごい。観客は意地悪で、どこかで滑るのを待っていて、それを笑おうと窺ってる面もあると思うんですよね(自分含)。それってある意味予定調和で、端々に描かれる「歌舞伎役者を迎えるのだからがんばらねば」とか「小劇場風情が」と言った“お約束”を、一切ストーリーから逸脱させなかったところが見事だと思いました。

罪悪感を抱えて生きている登場人物の中で、いちばん感情移入したのは浅野さんの役だった。『ドライブイン カリフォルニア』の初演の浅野さんの役をちょっと思い出した。

いろーんな不安を孕んで物語は終わる。マネジャーは暴力を受けて命を落とすかも知れないし流産するかも知れない。薬が切れれば女教師は顔がなくなる。福島の兄(余談だがこの猿時、なまりといい髪型といい菅波栄純を思い出してしまい違う面でひとりでウケていた…)はもう指が3本ない。女教師の夫の金遣いはかなり危ないのでいつか破産するかも知れない。伝統を背負っている歌舞伎役者に危害を加えることが出来ないのは「日本人だから」だろうが、その感覚を持っていない人物は絶対に存在する。

それは虚構上のものではない。ひとはきっと運で生きている。力のある役者が演じるから、虚構として観ていられる。動物園の見る、見られるの関係が逆転することはままある。

「『抱かれた女教師』で書きたいことは全部書いちゃって、以降書きたいことがなくなっちゃったので座付作家を迎えた」この劇作家・演出家は、これから何を表現するのだろう。虚構の中の劇作家ではあるが。『クワイエットルームにようこそ』、今作と来て、次はどうなる。

いちばんウケたのは染五郎さんが「あおじろい!」て連呼されるとこでした(笑)しかし染五郎さん、右膝がすごく腫れてたな。大丈夫かな。