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2004年02月24日(火) ■ |
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早稲田劇研の思い出話(笑) |
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最近何をしているかと言うと、高橋洋くん出演作品のデータベース作り。いや、自分ではサイトは作りません(笑)が、資料を結構持っている筈なので、ひとさまのとこのお役に立てそうだなあと…東京オレンジの頃の配役表とか、探してみようと。高橋くんのプロフィールって東京オレンジ時代のことに触れられてないけど、お、オフレコなんでしょうか…だ、大丈夫だよね、書いても。
当時早稲田大学演劇研究会の活動は結構マメにチェックしていました。その頃の劇研は、双数姉妹がメインアンサンブル。活動拠点の大隈裏に足繁く通っていました。そんなある日、お世話になっていた某制作の方が「今度新しいアンサンブルが出来るよ」と、東京オレンジ旗揚げ公演の招待券をくれたのです。その後4作目くらい迄は観に行ってました。
しかしこれに高橋くんが出ていたとは…殆ど憶えてないんだよね!(笑)勿体ない!このアンサンブル、堺雅人くんが看板って感じでやっていたので、その対極の役をよくやっていたと思う。やっていた…筈。
数年後ニナガワカンパニーダッシュの『1998・待つ』を観て「なんかすごいのがいるなあ…誰だ、あの役者さん?」ってキャスト表調べる迄、同一人物とは気付かなかった。ホントビックリした。数年で急成長したってことなのかな…蜷川さんとこで自分のやりたいことがハッキリわかったってことなのかな。何かの記事で「ちゃんと演劇をやってみようと思って」ニナガワカンパニーに入ったと言っていたので、高橋くん自身は、自分の役者としてのスタートはここから、と思っているのかも知れないな。
早稲田劇研って今どうなってるんだろう。第三舞台、山の手事情社、大/早稲田攻社→ZAZOUS THEATERのあとに双数、オレンジって感じだったよね。どんどんプロになって出て行った。双数の『ソビエト〜マヤコフスキー生誕100年〜』の時だったかな、野田秀樹さんが観に来ていて客席が異様な雰囲気になったこともありました(笑)数カ月後、苅部園子さんが『キル』に大抜擢されて「ああ、苅部さんを観に来ていたのか!」と。その後、明星真由美さんもNODA・MAPに出演していた。苅部さんも明星さんも、今は役者業を引退している(明星さんは氣志團のマネジャーで有名ですな(笑))。どちらも素敵な役者さんだったので、やっぱり残念だな。いや、今やってることが自分で気に入っているのならいいんだけどね!こっちがとやかく言うことじゃないしね!
最後に大隈裏に行ったのは『コサックTOKИOへ行く〜featuring東京オレンジ〜』だったと思う。テントならではの濃密な空間を体験出来て楽しかったです。ここでしか出ない空気ってのはあるよね。う〜ん、また行きたくなってきた。今も面白いことをやっているかな。
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