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2003年08月22日(金)
『オスカーとルシンダ』(オモテ)

いやあ、こんな展開になるとは…そしてこんなに重い話だとは…。

と言う訳で、これちょっとでも観たいな〜と思ってる方は、以下の感想は読まないでください。バリバリネタバレしてます。予備知識がない方がいいです。こんなところに物語が着地するとは!と言う驚きも楽しんでください。

でもこれだけは。傑作です。滅多にこういう事言わないタチですが言っちゃいます。なんだろう、自分が好きなタイプにドンピシャだったんだよね…なのでそこらへんがツボじゃないひとは「じれったい!」「なんでこんなにうだうだ悩んでるの?」って思うかも知れない。でも私にとっては傑作。なんで公開当時映画館で観なかったかなと大後悔してます。

いろいろ思うことがあり過ぎるんで、オモテ編とウラ編に分けます(笑)その後原作についても。長いです。

****************

「神が私達に要求しているのは現世に存在するあいだ、すべての一瞬、一瞬をかけることです」
「生きている限り、その一瞬、一瞬を賭けなくてはならないのです」

19世紀半ば、神に仕えるオスカーとガラス工場の経営者ルシンダがギャンブルを通して出会い、オスカーの死によってふたりが別れる迄のストーリーが、オスカーのひ孫のナレーションによって語られる。

オスカーは賭によって人生を進んだ。父親を捨てる原因になった改宗、オーストラリアへの渡航、教会からの追放、ガラスの教会を運ぶ旅。賭の結果は神の御業だとオスカーは信じている反面、実は悪魔の誘惑ではないかとも思っている。彼の一生は悔恨と自責にまみれたものだった。神が見ている、神が守ってくれる、神に赦して貰わなければ。悔いてばかりの人生。

それでも、最後の水中でのオスカーの表情を見たら、これで良かったのかもと思ってしまうじゃないか。あの穏やかな表情は、罪悪感や苦痛から逃れられるからなのか、運命を受け入れた安堵から来るものなのか。自分は最初からこの運命にあった、それでよかった、としか思えなくなるじゃないか。そんなのって悲し過ぎるじゃないか。オスカーからすれば、自分の死すらも当然神が決めたことになるのだろうが、その選択をしたのは、結局彼自身ではなかったのだろうか。そんなことを考えるのは自分が無神論者だからだろうか。

神を信じているからこそオスカーが救われている、と感じる部分も多々ある。しかしそれを罪悪感に転換してしまう傾向が彼にはある。恐水症のオスカーが、川の上を滑るガラスの教会の中で「神に守られていてさえ僕は怖い」と思うシーンは、考え方によっては、ヒキツケを起こさない程度には安心していられるってことじゃないか。それ迄の彼は、海や川に近付くとヒキツケを起こしていたのだから。しかし彼はそう思えないひとだった。

一方ルシンダ。自分の努力無しに得た莫大な遺産を重荷に感じている彼女は、ギャンブルで「負ける」ことを望んでいる節がある。遺産を少しでも自分から追い払い、身軽になりたいからだ。その時代には珍しい女性実業家、その上ギャンブラー。彼女は世間に馴染めない。ギャンブルに信念を持っているわけではないので、罪悪感を感じてもいる。

ルシンダは、経営しているガラス工場に導入する機械をイギリスで買い付けた帰りの船中でオスカーと出会う。賭博の罪を懺悔しようとする彼女に、オスカーは冒頭の台詞を放つのだ。

オスカーはギャンブルに信仰を持っている。しかし果たして本当にそうだろうかと迷ってもいる。こんな堕落した自分がルシンダとの愛を望むなんてと思っている節もある。しかし彼は、ガラスの教会を運ぶ賭でルシンダへの愛と自分の信仰心を証明しようとした。勝ちに出た筈だ。勝てば自分の選択は間違っていなかったと信じられるし、それ迄の罪悪感からも解放されたかも知れない。神は自分を祝福してくれたのだと思えたかも知れない。

この賭に、ルシンダは全財産を投じる。自分に賭けるものはないと言うオスカーに、彼女は「あなたのお父様の遺産を」と言う。「父はまだ生きてる」と言うオスカー。彼女の言う遺産とは、オスカー自身のことではないのか?つまりオスカーは勝っても負けてもルシンダの愛情を得ることになる。ルシンダもそれを望んでいる。

オスカーは勝ちたい、ルシンダは負けたがっている。不思議な賭だ。結果も不思議なものになった。

オスカーは賭には勝った。教会は無事届けられた。しかしその日のうちにオスカーはミリアムに犯され、教会は水に沈む。オスカーも一生を終える。ルシンダに残されたのは、ミリアムが生んだオスカーの息子。

ひ孫がナレーションをしていると言う設定がこれでクリアになる。オスカーが賭をしなければ、この物語が語られることはなかったのだ。

オスカーは死によって安息を得た。ルシンダはオスカーの忘れ形見を引き取った。ふたりはキスしか出来なかった。幕切れとしては美しい、爽やかささえ感じたものだった。これで良かったのか?これはハッピーエンドなのか?結論は出ない。しかし気持ちは大きく揺さぶられた。久し振りに聖書を読み直したくなった。

楽しい時もあった。競馬に初めて勝った時、ふたりで暮らした日々、ガラスの美しさに魅入られた時。涙ガラスはオスカーそのものだったような気もする。ルシンダは水=自然。恐水症のオスカーが水に親しむルシンダと出会い、ガラスの教会と共に水に沈み、その息子はルシンダと水に戯れる。社会に馴染めないふたりの不思議なラヴストーリー。