Desert Beyond
ひさ



 新潟・報告

1日の夜から昨日まで
救済活動のボランティアで新潟に行っていました。
救済センターにある救援物資を
主に小千谷市の村々に配給、
被災者の人達の要望や意見や気持ちを聞いてきました。

一番大きく感じたのは
テレビで報道されているのは大変な地域のごく一部分で
まだまだ救援の手が届いていない場所が沢山あり
街の人も村の人もまだまだ困り果てている状況なんだという事。

救援物資を取りに沢山の村の人が広場にあつまって
ありがたい、って言いながら遠慮がちに物資を手にする姿。
「他の人のぶんもあるから」って沢山は取らない姿。
大丈夫なんだよ、って袋に沢山つめてあげて
重くなった袋は自宅まで一緒に歩いて持っていってあげました。
持って行ってあげた人達の家は大変な状況で
「それでもここしか居る場所がないから...」って
あるおばあさんは危険家屋って紙の貼られた自宅で生活していました。
他のおばあさんは、
「バスがまだ通ってないから病院にいけない」と。
また他のおばあさんは、家の前まで一緒に荷物を持って行くと
中を見てってください、って玄関を開けてくれた。
玄関の間の内壁の板は全部外れていて中の木やらが
むき出しに見えていて、家の中は散らばった日常品
倒れてしまった箪笥。
恐くて夜は眠れない、と昼寝をしていたおじいさんが
おばあさんに、「じいちゃん、色々戴いたんだよ」と言うと
おじいさんは荷物をかき分けた所に敷いた布団から起きてきて
「本当にありがてぇです。」と言いながら
額を床につけてお礼を言うくらい今でもひどい状況なんです。

行政の手は全体的に見ると全く行き届いてなくて
道路の車の通れないような穴の空いた場所、すごい段差、
マンホールが円柱のように突き出した場所が
放置されていました。
近くの近所の人が鉢植えなどを置いて
危険を知らせているところがやっとという状態。

村や町を一日中トラックと車の3台で走りまわり
物資を届けてはセンターに戻る、という行動をしていたけど
他に救済をしている団体とは1度くらいしかすれ違わなかった。
それでも各都道府県の水道局はかなり一生懸命回っていて
そこここで他県の給水車を見た。
神奈川県横須賀市、埼玉県松伏町、そのほか多数の給水車。

毎日思ってもみなかった経験をして
大変な目に合ってる人達を目の当たりにして
1日1日全力でボランティアをしたけれど
ボランティアをしている最中は全然疲れなかった。
毎日夜に救済センターの報告・要望書を
裏面がいっぱいになるまで書いている途中で
何回も涙が出そうになった。

帰ってきてしまったけれど
今も大変な思いをして車庫で寝泊りしたり
寒さに凍えたりしているおじいさんおばあさんがいると思うと
気持ちが辛くなる。
本当にボランティアで行って良かったし
時間が作れたら是非また行かなくてはと思う。


もう30になる歳で情けない話なんだけど
来年の春から2年間学生をやります。
先月受けた国立大学の3年次編入試験の
合格通知が今日の夕方届いきました。
夢へ向かうにはラストチャンス。


2004年11月05日(金)
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