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2017年02月15日(水) ■ |
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お前のせいで、奴らは苦しむのだ。 |
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映画「沈黙 サイレンス」(マーティン・スコセッシ監督)から。 原作は、遠藤周作さんの小説「沈黙」。 若い頃、一度読んだが、覚えているのは「踏み絵」の場面など、 「信仰」するという、静かだけど力強い人間の心の動きであり、 それを映像で、どう表現するのか、とても興味があった。 しかし、58歳で鑑賞した映画作品は、原作にほぼ忠実だけれど、 私の引っかかった個所は、歴史としての「宗教弾圧」ではなく、 また「他人事」としての物語ではなかった。 心を大きく揺さぶられたのは、イッセー尾形さん演ずる 「井上筑後守」が「宣教師」に言い放った台詞 「お前のせいで、奴らは苦しむのだ」だった。 (「お前が転ばぬ限り、犠牲が出る」というフレーズも・・) 「自分の存在」が「周りの人達を苦しめている」という事実を、 目の前で見るにつけ、心が揺さぶられ、心が心を裏切りそうになる。 それは、私たちの仕事や、日常生活でも同じことが起きていると、 観賞後に、ふっと気付いたとき「自分事」に変わった。 「信じる道を貫く、目の前の命を救う、どちらを選べば良いのか」 たぶん、どちらが正しいと言うことではなく、 そのことに悩み苦しみながらも、常に自分の存在を意識することが 大切なのではないか、と考えてみたりもしている。 作品のラストに、こんなナレーションが入る。 「私は沈黙したのではない。おまえとともに苦しんでいたんだ。 沈黙の中で、私はあなたの声を聞いていた」 もう1度、原作を丁寧に読んでみようかな。
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