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■ いろいろ。
先週いっぱい夏休みをとっていた。 手近なところで一泊旅行にも行ったけど ほとんどは家で過ごした。
気になっていた台所の片づけをした。 通路が半分くらいになっていて棚の奥のものが取り出せない。 買った物も置くところがなくて冷蔵庫にも入れられなくて だんだん積み上げてしまっていた。
思い切って野菜室をからにしてみると、底には きゅうりの腐った汁が流れていて大変な状態。 他のものにも汁がついていたので、思い切って処分に踏み切った。
長く保存していて食べられないでいたたくあん2本(なんで2本?)、 腐りかけた野菜、念のためにとってある保冷材、その他もろもろ。
勢いがつくとどんどん捨ててしまって、気がつくと通路がきれいに見えていた。 棚の奥にしまいこんでいて絶対に使わないって何回も思ってはしまってた乾物、 お土産の食品類、賞味期限をだいぶんと過ぎた保存食品、レトルト。
あるものを使って生活しよう、それで十分だって思い知らされた。 いやー、捨てるとすっきり。
何日かして、書店で手にした『捨てるための雑誌』そこには 捨てることに後ろめたさがあるから捨てられない、でも、そのマイナスイメージが 脳の働きを悪くする。脳を活性化するのは、刺激。必要なものまで捨てるくらいして さあ、困った、どうしようというくらいの刺激がいいらしい。
捨てるときには、感謝の気持ちで今までありがとうと思いながら捨てる。
そうだよね、ほんと、今までありがとうと。 みやげ物にも買って来てくれたときの気持ちを受け取ることは忘れない。
すごく片付いてうれしかったんだけど、片付けたんじゃないんだよねー。 ただ捨てただけ。
そう、ものがあふれてる。キャパ以上に。それだけのことなんじゃないかな。
私は自分に管理能力がないと思うからクレジットカードは持たないんだけど そういう潔さをものに対して発揮するべきなんだな。
むしろクレジットカード一枚管理できなくてどうするって思い始めてるけど ものの適正保存量を10としたら、今はものが20はあるって気がする。 半分にする気持ちで捨てることに取り組めば、かなり片付けやすくなるというか。
捨てただけで片付けやすくなった、ものが取り出しやすくなった、通路が広くなった。 悩んだら針箱を整理しろというのはイギリスの格言だっけ。 頭の中もごちゃごちゃしてたのが、ちょっとすっきりしたかもしれない。
2階に長いこと置いている、前の職場の残骸もそろそろ処分できるかもしれない。 これから、子どもたちの経済的自立をかけた戦いが始まるのだから、もう、 自分の過去はいいんじゃないか、そう思うようになった。
次男の部屋に置いていた過去の日記も処分した。 今頃まで置いてあるほうがおかしいと思うけど、捨てられなかったんだね。 今は、もう、いらない。
あの胡桃の実も、裏山にほうった。芽が出るのかどうか、どうでもいい。
近所の人で40代でなくなったOさんは、何も自分で処分できなかっただろう。 同じ年になくなった父親の荷物も処分できずに、自分の荷物も何一つ処分できずに 今は、彼の妹が処分している。
天涯孤独となった彼女が、自分の育った家の、なくなった父親と兄の荷物を 一人で処分している。どんな気持ちだろうか。
あの世には何一つ持ってはいけない。 誰にも迷惑をかけないで死ぬのがいいのか、そんな死後の迷惑を考えて生きなくていいのか、 誰にも何も手を煩わせないで、何の記憶も残さずに死ぬのがいいのか、よく分からない。
でも、捨ててすっきりした。
この感じは病みつきになるかもしれない。
2007年08月21日(火)
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