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おとなの隠れ家/日記
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2004年06月30日(水)
誕生日は特別な日なんだ 〜Birthday Special 2〜






ああ、あの年ね。
そう、誕生日だって言わなかった年。

「誕生日がそんなに大切なのかい?」

とケンに言われて考えてみたんだ、自分なりに。


こどもの頃、
誕生日を祝ってもらう家に育った。
欲しいもの食べたいものが何でもおねだりできた。

手に入ることが嬉しかったというよりは
誕生日には甘えていいんだよ、と言われているみたいで
それが嬉しかったんだ。

誕生日は私にとって
年中いい子ちゃんでいるように務めた私の唯一の解放日、
わたしだけのために何かをしてもらえる日だった。


大切な日というよりは特別な日なんだ。
自分にご褒美をあげる日。

そんな日に大好きなケンと一緒に過ごすことができれば最高だよ。


言わなかった年、ケンは不機嫌だったね。
今年の分、損したなんていって。
実はあの年の誕生日の夜、ケンに電話したんだ。
残念ながら通じなかったけれど。
その時思ったよ、ケンに誕生日を告げなかったバツだってね。
やっぱり言ってほしかった、「おめでとう」って。


誕生日、忘れてもいいから
私がちゃんと予告するから

だから
おめでとうのちゅぅだけは忘れないでね。


えっ? 今年は先制攻撃なの?
どうしよう、食事なんかよりケンを食べたくなっちゃうかも......えへへ。



忙しいのに時間作ってくれて、ありがとう。





2004年06月29日(火)
誕生日がそんなに大切なのかい?  〜Birthday Special〜



仕事に追われると、つい連絡することさえ後回しにしてしまう。
オレ的には時々メールが飛んできたり、挨拶程度の電話さえあれば
疲労困ぱいの体に喝をいれられる。
が、オンナにとっては、そういうわけにはいかないことをこの歳になれば
あらかた、わかっていたりもするのだが。

誕生日がそんなに大切なのかい?




オレはマリと付き合い出して随分になる。
今月は二人ともやけに忙しく、なかなか会えないでいた。

「マリの誕生日には時間作るから」

そう約束はしていたものの、会えずに一月半も過ぎていた。



「来週だな、レストラン予約してるから」

マリにそうメールを入れた。
返事は「楽しみにしてる」の一言だった。

いつもなら

「浮気でもしてんじゃないの?」

なんて突っ込みを入れられるところだが
その気力もないほどにマリも疲れが溜まっているのか。
疑われるよりはいいかなと思うけれど、すこし淋しい気もする。




オレは、マリが誕生日が近付くと騒ぎ出すのを知っていた。
毎年6月に入ると

「今月は誕生日だからね」

と念押しされる。
それでもある年、マリが一言も誕生日のことを言わない年があった。
オレはすっかり忘れてしまった。
あの年の6月は後味が悪かったな。

最初は、覚えていることを試されたのか?と思った。
言ってくれたらいいのに、とさえ思った。


あとから、なんとなくわかったんだ。
考えてみりゃ、彼氏のオレが祝わなくてどうするよ、ってね。
他のヤツに誕生日のプレゼントをもらって喜んでいるマリに
自分は何もしてやれなかったとなると、ちょっと悔しい。

クリスマスプレゼントやバレンタインデーのお返しを忘れても
マリは、しつこくせがむことはない。
でも、オレへのプレゼントいつも用意されている。


マリは、自分が生まれた日だから祝ってくれなきゃなんて言ってたけど
本当は、オレが誕生日のことを忘れることを予測して
毎年、6月になるとおねだりをしてくるのかもしれない。
オレがマリの喜ぶ顔をみそこねないように。



長く付き合っていると、イベントごとに鈍感になる。
まるで義務感のように思えるのも、少し気が重かった。
だけれど
それが付き合っていくということなんだろう。


夜景の見える高級ホテルや
かしこまって食事をするしゃれたレストランが大切なんじゃなくて
大切な日を二人で祝う、その行為自体をマリは求めているのかもしれない。


義務じゃなくて役割なんだ、と。


危うく見失うところだった。
オレにとっての誕生日が問題じゃなくて
マリが大切に思うことをオレが受け止めてやればいい。
今はちゃんとわかっているよ。
マリがオレに「おめでとう」と言ってほしいのは
オレへの想いの裏返しだって。

マリが教えてくれた。
大切な人が喜んでくれることで自分も気分がいいってことを。


マリなら、母の日にオレが何もしてやらなくても
父の日には何かイベントを考えてくれそうだ。



「おめでとうのちゅぅは?」

また、今年もそういってせがむんだろうな。
オレは約束の場所に向かいながら、クスリと笑った。

待ってろ、今年は先制攻撃だ。
キスがせがめないくらいに強く抱きしめてやる。






2004年06月28日(月)
どうでもいいや



そう思う
そう思い込む

それは自分をラクにしたいからだろう


なげやりなのか
あきらめなのか

そんなこと分析したところで

そのもとになってる気持ちは自分が一番わかっている


どうでもいいや
本当の意味でそういうふうになれるヒトをめざしたい


ただ


そうしたらどうなるかまで見えてしまっていて
そういう自分がスキになれるかどうかが問題


ラクをとるのか
クをとって自分のやり方を通すのか


日によって想いがかわるのはおそらく
日によって自分の気分がかわるからなんだろう


そうか、所詮気分か。




2004年06月25日(金)
ぬれねずみ



いやー、どのくらいぶりだろう、あんなに雨に濡れたのは。
しかもね、ほんの2〜3分の出来事だった。

なじみの駐車場に車を止めて
いつもの人が

「傘はいいですか?」

とまで言ってくれたのに
わずか100mぐらいで建物に入るから

「ええ、大丈夫です」

なんていって
駐車場から出たら

「あらら、わりと降ってるわ」

と思いつつも、小走りして建物に入った。
わたしは車移動が多いので、傘はほとんど使わないのだ。


用がすんで、手に袋を二つさげ
建物の玄関で立ちすくんだ。
じゃじゃぶりだった。

中身が濡れないように袋のくちをしめると
わたしにはもう余力がなかった。

「どうせ走っても濡れるな」

仕方がないので普通に歩いた。

「雨って、こんなに防ぎようがなかったっけ?」

わずか100mくらいのあいだに
髪はシャンプーしたあとのようになり
スーツは、肩と、袋をしっかり握っていた袖のあたりがびしょぬれ。

駐車料金を払うところで中のおねーさんが

「あらー」

といわんばかりに、わたしをみた。


スーツじゃないのなら、濡れても平気だし
あの状況ならスーツでもいいや、なんて
雨に濡れることがキライじゃなかった学生時代を懐かしみながら
これも自然の恵みだからとか、たかが人間、自然には歯向かえないのさと
濡れた快感を楽しんだ。


ついでに
数年前に傘がまにあわないくらいの大雨の中
オトコと歩いていたシーンが甦った。


あの頃のわたしは、もう居ない。


自然乾燥で乾いていく髪が、ゆるやかなカーブをみせてくれた。





2004年06月20日(日)
BAD SIGNAL



ひずみを感じてそこに目をやると
どうも危なげな気がする

こんな時は
見るもの、聞くものが違って自分に入力される

違って?
違うというよりは正しいことのようにも思える


浮かび上がる思考を抑え
今は考えないでおこうとすればするほどに

目をそむけているはずのことが襲いかかってくる


一体、あんたはどうしたいんだ?
こんな時にこんな自問自答は最悪だ


今日は戦えないよ
白旗を出して振るしかない


何も考えられない




2004年06月15日(火)
話半分 ラスト




ジョークやいたずらのような遊び心のあるものを除き、
故意に真実を曲げたり、騙すつもりのウソはキライだ。

人を陥れたり
金銭の絡む詐欺行為
人の心をもてあそぶような輩など

存在してほしくないが存在する。


人をみたら泥棒と思え

わかっているつもりだ。
にもかかわらず、ワナにはまることがある。
しかけてくる方もよくないが、わたしも甘いのだろう。

きっとこれからも幾らかは繰り返すのかもしれない。


ここで話を「話半分」に戻す。


わたしね、試してみたんだ。
話半分できこうと先入観を作り上げてみた。
そして話をきいてみる。
すると驚くべき現象が起こったんだよ。

半分は本当のことではないと思って話をきくと
「ありがとう」の言葉すら真実に聞こえてこないんだ。

半分だけありがとうなら、残りの半分は何なんだよ。
芝居か? それとも迷惑だということか?

半分に気をとられると、もう半分は何なんだろうと思ってしまう。


なんでも真に受ける.....そう言ってるわけじゃない。
話半分であるかどうかはきく側が決めることだと、わたしは思う。
わたしは真実はひとつだと思っていないようだし
ウソ発見器も持っていない。

話半分ということも真実かどうかわからないじゃないか。
こんなに面倒なことを考えながらヒトの話をきくのはイヤだ。
なによりも、

「ありがとう」が「ありがとう」にきこえない自分が心地悪い。

悲しくなってくる。


こんな思いをするぐらいなら真実でもウソでもなんでも結構だ。
まんまと騙されたって、ウソの話で踊っていたって
誰かのせいになんか、わたしはしないさ。
あとで自己反省でもするよ。(笑)


わたし的結論 
『話半分できく』は、不器用なわたしには向かない。
半分だけ本当ということを、きき分けられないからだ。

真実は知りたい。
だけれど追い求めているわけじゃない。

何が真実でどれが本当なのか、それは二の次。
本気にされると困るのであれば、冗談だと言えばいいし
本気にされないで困るのであれば、本気だと言えばいい。

そのために言葉があると思ってる。

言葉通りに伝わるかどうか、それもまた難しい話だが
言葉通りに伝えたいのなら、その意志が伝わってくるはず。
どうでもよければ、どうでもいいなりに。


*********


「はぁ、最近忙しくて、いきづまってるよ」

「めずらしいな、弱音はくなんて」

「海のそばで、ぼーっとしていたいぐらいに、まいってる」

「ハワイの別荘でのんびりなんてどうだ? 招待したいな、別荘もってればの話だけど」


別荘はないとのことだから、話半分で笑い話か?
わたしはこれを話半分では、きかない。
なぜなら、この話の中にある真実は、ハワイ云々ではなく
わたしを元気づけたいという気持ちだと思うから。


こういうことを書きたかったんだよな、ニュアンス的には。
でも、書けば書くほどに理屈っぽくなって自分でもこんがらがる。(笑)


話半分でも話全部でも、対わたしには同じことになるだろう。
それでもなお「話半分」ということをご希望であれば
処理方法がなくもない。

スベテ ツクリバナシ トイウコトデ。


おわり





2004年06月11日(金)
話半分 その5




真実かどうか、本当かウソか、わからなくなった時に
ヒトは「信じる」という言葉を使って切り抜けようとすることがある。

わたし的「信じる」という言葉は、疑わないという言葉とセットになっている。
疑うならば、信じているとはいわない。


疑いを持ちながらも

「あなたを信じているわ」

なんていうのは、信じているんじゃなくて信じているふりだときこえる。
「信じる」という言葉の責任のありかを転嫁していると、わたしは思う。
相手を信じているのであれば、
わざわざ「信じている」と伝える必要はないだろう?

疑いながらも信じることができるというのが、わたしにはわからない。


真実かどうか、本当かウソか、わからなくなると苦しいものだ。
何かにすがりたくなる。
安心できるような真実や本当を手に入れたくて。
でも、そう都合良くはいかないもので
だから対象物または対象になるヒトをまつりあげる。
それらを信じて、もしも真実でなかったりウソだったりすると
対象となる物やヒトに裏切られたとか、だまされたとかいう。
自分のことは、常に悪くはないという位置において。
これをわたしは責任転嫁だと思うんだ。


信じたのは誰?
誰かに信じろと言われた?
言われたとしても、最終決断をするのは自分じゃないの?


わたしは信じるとすれば自分だけかもしれない。
裏切られたり、だまされたと思ったとしたら
自分の判断ミスだと思うだけだ。


惚れたオトコも信じないの?
さっきも書いたように、どんなことがあってもひとつも疑わない自分なんて
ありえないから、その物差しでいけば、信じていないということだろうな。
逆にね、何をしていても疑いをもたないというのは、
相手に感心がない、もしくはなくなったということだろう、
恋愛感情絡みであれば。
疑うといったって、根掘り葉掘りきいたり、相手の持ち物探ったりはしないよ。
つじつまが合わないなと思えば、きくのはきく。
きちんと説明してくれることを望む。
折り合いをつけたいんだろう、自分の考え方に。

だけどね......
疑いがふっきれるほどの真実が手に入ることってある?
相手の言葉を信じるか、相手のことを信じるか、それしかないことがほとんど。
真実はあっても、どれが真実なのかわからないまま。
いずれ答えは感じる心が出してくれると、わたしは思っているが。


「信じる」という言葉も、わたしにとって扱いは「真実」に似ている。
自分との戦いのように思う。
あえて使うとすれば、もともと信じてるというのが近い。
信じているところからスタートする。
だから、あらためて「あなたを信じてるわ」なんて言うのはヘンだと思っている。





2004年06月10日(木)
話半分 その4



では、わたし的「真実」を言葉にしてみようと思う。

考えながら書いているので、似たようなことを繰り返し書いてしまうかもだが
そのあたりは大目にみていただきたい。


わたし的真実とは、自分が本当のことだと思っていることを指す。
本当のことだという判断基準は自分にある。
きく話は、とりあえず真実だと思ってきく。(おそらく無意識の領域)
話し手が真実じゃないよと言わない限りは本当のことだと思ってきく。(これも無意識)
なので、真実じゃないとしても、その時はわからないかもしれない。


わたしにウソをつこうとして、ウソを本当のことのように言う人がいるかもしれない。
ウソをつくつもりはなくて、考えが変わったとか状況がかわったとか
本当のことが本当でなくなることがあるかもしれない。

でもウソをつかれて、わたしがウソに気付かないままだったら、
わたしはウソをつかれていると思わないだろうから
ウソなのに本当、つまり真実だと思う。

時々、きいた話に疑問をもつ。
自分なりに考えてみて答えを探そうとする。
それでもわからない場合は、話したヒトにきくか、そのまま放置するか。
きいて答えが返ってくるとは限らない。
言葉を求めても、納得のいくまで言葉を交わせないこともある。
だから、放置だったりするわけだ。
これはいただけない。
すっきりしない。
とはいえ、探し続けるとそこには落とし穴が待っている。
真実かどうか、ウソか本当かがわからなくなるのだ。
わからなくなったら、どうでもよくなる。

そう、最後はどうでもよくなるんだ。
対人関係の場合、ここいらで取捨選択をするようだ。



真実を疑い、真実を探して、真実に戻れればいいけれど
真実を疑い、真実を探して、真実を見失うことにもなる。
だって最初から真実なのに、別のものを探そうというのだから。

逆に真実でないことを真実だと思った場合は丸くおさまるだろうが。


所詮
自分が思う真実ではないから、疑うことになる。
真実かどうかじゃなく、自分次第ということになる。


それでも真実はあると思っている。
でも、どれが真実かは、自分の中にある真実しかわからない。
自分以外の人の真実は、本当のところはわからない。

わからないから、
わたしは真実であるという方にウエイトをおいて話をきくことにしている。
話半分ではきかない。
丸ごと受け取ってみる。
あとは自分で判断する。
自分が感じる心にまかせる。
そうすることに決めているという感じ。

真実であってほしいからだろう。
いいことでも、そうでないことでも本当のことが知りたいと思うから。
だから真実であることからスタートする。


まぁ、こういう風にうだうだ考えなくてもいい方法もある。
「信じる」という言葉を使うことだ。




2004年06月09日(水)
話半分 その3




はなから真実を語っていないと思って話をきくことが話半分というのなら
わたしはおそらく、きこうとはしないと思う、そんな話。


ここで「真実」とは?という気がかりな言葉がある。

共通で描きやすいように、広辞苑の言葉を書いておく。

・真実
うそいつわりでない、本当のこと。 まこと。


うん、異論はない。(笑)
ただ、真実であることが、どうすればわかるかということと
それが誰にとって真実かと考えれば........
こんがらがってくるんだな、これが。(苦笑)



話が真実なのかそうでないのか、話す側にしかわからない。
ウソがあろうが、話半分なのかは話すヒトのみが知っていること。
きく側にしてみれば、真実かどうかは自分で判断するしかない。
ウソが含まれた話だとしても、話がうまく作られていれば真実だと思うし
真実ですら疑えばウソだろう?ということになるかもしれない。

加えて、話す側が真実だと思っていることも新たな真実に出会うかもしれない。
そうすれば、もとの真実が真実でなくなることだって、あって不思議じゃない。


「オレオレ詐欺」の「オレ」は、最初は家族の一員だ。
それが真実だと思うからお金が動く。
でも、結果的に詐欺だとわかった時、その「オレ」は家族ではなかったとわかる。
この場合、真実がウソにかわるんじゃなくて、最初からウソだ。
話をきいた方が勝手に真実からウソへの切り替えをしているだけだ。


わたしが25歳といっても50歳だといってもウソになる。
真実はわたしだけが知っている。
ここで仮にわたしが本当の年齢が40歳だと設定してみる。
でも、うっかり39歳だと公表してしまったとしたら
わたしは真実を曲げたことになる。
それとは別に、わたしのことを50は越えているはずだと思い込んでいる人がいるとしよう。
その人は、わたしが公表した39歳を疑う。
本当は40歳だという証明のしようはある。
わたしは疑われている人の疑いをはらすために、
免許証を見せるだとか、パスポートを見せるだとか、
一緒に市役所まで行って住民票でも見せなきゃいけないか。

設定上の真実は40歳。
わたしの話を信用すれば、39歳。
話半分にきけば30歳にも50歳にもなりうる。



身近な例え話をすれば、彼氏(亭主)の浮気だ。
「どんなに疑われても吐くな」と言われるように
ゲロしなければ、現場を押さえられない限り、真実は闇の中だ。
しかしこのゲロだってわからない。
応対が面倒で、やってないのに「やった」というかもしれないから。
真実は、彼氏(亭主)のみが知るということになる。


真実が、うそいつわりのない本当のことを指すというのは意味として理解できるが
それはどれ?と考えると、結構ややこしくなる。

真実なんてどこにもないじゃないか!

.......と思っているわけじゃない。




2004年06月08日(火)
話半分 その2



あれからまだ考えている。
それより前から考えていたというのが正解なのだが。


足跡のコメントや書き込みを読みながら
身近な人に聞いたりしつつ考えてみると

話半分というのは、話をまともに信じちゃいないということに
かなり近いようだ。

ウソのような、ジョークのような、
わたしには、そんなイメージかな。


「話半分できく」というのは、その話の信ぴょう性や真実味に
聞いた側が疑いまたは疑問を持つ状況がきっかけとなると思われる。

前と言ってることが違うちゃないか
つじつまが合わないじゃないか

という感じで。


知らなければ、ああ、そうなんだと思えることも
知っていたりすると、そうじゃないはずだとか
知らなくても自分の考えていることとあまりにもかけ離れた話であれば
それ、怪しい話だよね、などと思う。

きっと、話半分できいてしまうのは、そう思わせる過去や体験が
あるからかもしれない。


でもね、
疑おうが、疑問に思おうが
まずはそれを本当のことだと思って見たりきいたりするんじゃないかな?
本当のことだとすれば、ちょっとおかしくないかと考えるということでしょ?
だから最初っから話半分できくということが、わたしは難しいと思っているんだ。

大げさにモノを表現したり、ウソの多い人の話でも
わたしは話を話半分ではなくて、話全部きく。
その後、その話に対する自分の考えを見つける。
結果的に「あの話は話半分だ」と思う。

確認がとれることなら誰かにきくこともある。
自分がどう処理するか、一応話のネタもとに確認しないと
こっちの受けとり方が悪いだけなら、相手に失礼だしね。


時々、ニュースを話半分できいたり
話の出どころによっては噂を話半分できくというのは、わたしにもある。
あえて使うなら「話半分」という言葉でもいいが
わたし的には「話を信用していない」という方が近い。

「話半分」という言葉をわかったフリして使っているわたしは
(一応、この言葉を使えないわけじゃないけれど)
本音をいえば、
話は話として信用している、もしくは信用していないのできいていない
のいずれかしか、わたしの中には無いような気がするんだ。


こう書くと、冗談も通じないような固そうなイメージを
自ら全面に押し出しているような気もするが
「素朴な疑問」として読んでもらうと有り難い。

なんせ「とろりん日記」など書くようなヒトだし。(笑)


........で、この話は、もうちょっと続く。
次は、お声のかかった「真実」について、考えたことを書いてみようと思う。




2004年06月07日(月)
話半分



「話半分できく」なんて、こんなに難しいことはないね。
話を半分だけ信じるということなのか?


よくわからないので広辞苑で意味を引いてみる。


・話半分(慣用句)
話に誇張や虚構が多く、半分に割り引いてきくと真実に近くなること。


ということはだ。

「今まで100人のオンナと付き合ったよ」というのを話半分にきくとすれば
100人という人数が誇張や虚構で、だいたい50人ぐらいだろうということだ。

話半分というと聞こえがいいが
本当は50人なのに100人だとウソをついたともいえるのでは?

この場合、50人を100人といったのは大げさで「話半分」と扱われるが
付き合った人数が2〜3人ならば、ウソつきだと言えない?
それともゼロだったらウソで、1人以上だと「付き合った」ということは
真実だろうから、話半分という言葉の仲間入りなんだろうか。


「ニュースは話半分できく」と誰かがいってた。
真実の映像や報道が隠されたり、話をすり変えられたりすることは
確かにあるようで、鵜呑みにしては危険だということなんだろう。
つまり、疑ってかかれということね。

人の話を疑ってきくというのは、確かにあることかもしれない。
わたしもやってることがあるから。
裏を返せば、話を信用していないということになる。


信用していないということは、ウソだと思っているということだ。
しかし「話半分」ならば、根底には真実があるということで。
ウソにも真実が含まれてる?
半分はウソとか、言えなくもない。


そもそも、おおもとの「話」とは何なのか?
何を半分にするのか。
真実を半分に? ウソとの混ぜ物をさらに半分に?


ああ、こんがらがってくる。(苦笑)
こういう中途半端な言葉って苦手なんだよね、わたし的には。


雰囲気でわかるだろう? ←コレが問題。


話の内容で、TPOで、わかるもんだ........
行き着くとこなんて、そんなとこなんだろう。


実際、わかったふりで生きてはいるけど
ほんとのところは、わからないんだよ、これが。(困)
話を信用しないというのはあるけれど
話を割り引いてきくなんて高等技術、わたしは持ってないから。





2004年06月04日(金)
取り違えるなよ




事件が起こるたびに、信じられんねー発言が
日本人代表的おとなのくちから飛び出してくる。

そのたびに、おいおいと思うんだが
世代的に仕方ないのかなぁとか
一般人の生活とはかけ離れて高いとこから見てるからだろうとか
思うことにしている。

ありがちなおとな......そんなイメージでね。

おじいちゃんだしね、言った人。
それだけズレた方々が、メディアを通して発言するのは
変わっていかなきゃいけないものを邪魔する存在だと、わたしは思う。
そろそろ転職をお薦めしたいもんだ。


加害者や被害者が女であるとか男であるとか、そんなことは関係ない。
丸腰の友だちに対して刃物を使い殺意を抱いたということが問題だろう?


それから、トラブルのもとがネットコミュニケーション
つまり、パソコンを使っていたということも問題ありのように取り上げられているが
わたし的には、今回の件にはさほど影響がないと思っている。


わたしが小学生のころに、友だちと交換日記をしたり
授業中にメモを回して遊んでいたり
学校で一緒なのに家に帰ってまでも電話で長話していたことと
今回の事件でパソコンを使ってそれらがなされたこととは
似たようなことではないかとね。


たしかにインターネットの世界をバーチャルだと言う人が多いのは知っている。
でもそれは、相手がどこの誰だかわからない場合じゃないの?
今回は同級生で、しかも友だちだったんだから。


ウェブの世界がバーチャルだと思っているおとなの物差しで計ると
こどもにパソコンを使わせるのはどうかと一括りに考えられてしまう。
何かにつけてそうだ。
事が起こるまでは何だって与え、何か起こったら
管理する、規制する、取り上げる。
他のこどもまでが窮屈な思いをする。
それによって新たに何かが壊れていく.......


今のこどもたちは、ついてないなと、つくづく思う。






2004年06月03日(木)
リアリティのない世界




ヤなやつがこの世の中からいなくなってしまえばいい

そんな気持ちを一度も抱いたことがないとは言わないけれど
誰かを殺してしまいたいと思ったことはない。


殺してしまいたいと思う動機がどんなものなのか
わたしにはわからないけれど
怒りだとか憎しみだとか恨みであるとか感情的な行動だったり
自分の回りから消し去りたいという計画性を持った行動だったり
自分が何かを手に入れたい動機がそこにあるんじゃないかと想像する。


小6の児童が友だちを殺した。
殺意を抱いての行動だったようだ。

わたしの思う「人を殺す」ということと、彼女にとってのその意味は
異なったものじゃないかと推測する。


いくらかのトラブルはあったものの
わたしにすれば、人を刃物で傷付けるほどのトラブルとは思えない。
ましてや、殺してやろうなどと思わないだろう。


どういう理由ならば、人を殺していいのかなんて話じゃない。


殺意が問題なのではないか。
衝動的にしろ、精神状態に異常があったにしろ、人を殺した結果は変わらない。
加害者が小学生であろうと、反省していようと、やったことは消えない。


こどもに見せるのは問題ありとされた映画のせいでも
手口を真似たテレビドラマのせいでもないと思うんだよね。


問題は、それらを見ることによって、リアリティを感じないからじゃないか?
人が殺されるシーンを見て、それが現実に起こってしまったらどうなるのか
ああやると人が殺せるんだ、やってみようと思う思考回路が、そもそも欠陥品だと。


チャットや交換日記、掲示板のやり取りで
不快な思いをしたことが動機のひとつのように報道されている。
もめだしたのは5月の半ば、たった2週間ぐらい前からのこと。
何があったにしろ、悩んだり殺意を抱く期間として、あまりにも短くないか?


リアリティがなければ、こどもでもおとなでも結果は似たようなもんだろう。
こどもだからやったなどと、わたしは思ってない。
何かのせいにして済む話じゃないんだから。
人の命を奪うことがどういうことか、結果どうなるのか
知らないからだと思っているよ。


指先を切ったくらいでも、あんなに痛い思いをするカッターナイフで
友だちの体を斬りつけることができたことに、人としての崩壊を感じる。

おそらく、段階を踏んでリアリティを学んでいないから、そうなると。


わたしは思う。
隠すばかり、取り上げるばかりではリアリティは伝わらないと。
環境や時代のせいにばかりしていいのか?ってね。


自分の親に迷惑をかけたと思っているらしい。
亡き友だちに謝りたいとも言っているらしい。
将来、どういう風に生きたいかという質問に
普通に暮らせればいいと言ったらしい。

まるでロボットみたいな答え方じゃないか。
たぶんわかってないんだろう、自分が何をやったのか。
わたしが思っているようにはね。





2004年06月01日(火)
JUNE 2004



あのね、とあるサイトで読んだ話なんだけれど
オトコの人が寝ている時にオンナの人が.....。



オンナの人がどうしたって?



大きくしたらしい。



どうやって?



さすったり、ぱくっとしたり。



ふーん、それから先どうしたか書いてあった?



う、うん。



よかったって?



そうは書いてなかったけれど、盛り上がったらしい。



やってみたいの?



ううん。私ね、寝ている人よりも起きている人のほうがいいから。



どうして?



声や声にならないような喘ぎ? ソレを聞きたいの。



なぜ?



気持ちイイんだろうなぁと思うから。



大きくなったらイイってことじゃないのか?



あら、そう? 
エッチなこと考えると大きくなるもんでしょ。



ソレばっかりじゃないさ。



ふーん。
わたしがくちでするのは、感じて欲しいからなのよね。



そうなの? そうするのが好きだからじゃなくて?



他の人は知らないけれど、わたしはそう。
感じていると思うと嬉しくなる。



嬉しくなるだけ?



私もヌレル。


 
よし、じゃぁ感じさせてくれ。



えっ? 今から? 



何か問題でも?



私はいいけど。



じゃぁ何?



さっきので、まいりましたって言わなかった?