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おとなの隠れ家/日記
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2002年02月27日(水)
まあこ的女性心理



例えば、逢いたいけど逢う時間がないとしよう。
これを女性に伝える時に
「逢いたいけど、仕事で逢えないんだ」 と
「仕事があるから逢えない」
この二つは女性にとって大きく違ってくる。
「逢いたいけど」の言葉がつくだけで、受ける側は随分救われる。

過去に言われた経験がないだろうか? 特に男性の方々。
「仕事と私とどっちが大切なの?」と。
この場合、たぶん、頭の「逢いたいけど」をはずして
しまっていることが多いのでは?

男性は結果だけを相手に伝えれば十分だと思っている。
「逢えない」 と。
でも、女性は途中の気持ちも大切なのだ。
「逢いたい気持ちは やまやまなんだけど」って とこらへん。

私は、仕事とデートが比べられない位置にあるものだと わかっている。
が、しかーし!!! 
あまりにも仕事を全面に押し出して、時間が取れないと言われると
「んじゃ、他の人と遊びにいけってこと?」
と言いたくもなる。
「行きたいなら、いけば?」 な〜んて決して言わないように!
ちょっとダダこねてるだけだから。(笑)
こんな時は「仕事で逢えない」といった側が堪える方が 
結果は よろしいかと。

ということで、どっちが大切? と聞いてしまう人の気持ちは 
よーくわかる。
しかも世の中には「仕事だから」といって、本当にそれが
理由でなくても、言い訳に使ってる人がいるわけだし。(苦笑)
ただ、男性が、こう聞かれるのを嫌っている事もよく聞くお話。



2002年02月25日(月)
いいたくてもいえない



好きだから「好き」といえる
逢いたいから「逢いたい」といえる

私も言えない事はない。
だけど、相手が言いわないのに言うのは なんだかな。
言われることが相手にとって嬉しいことなのか
それとも負担になるようなことなのか わからないから。

言うのはいやだけど、言われるのは嬉しいよ とか
言うのはいやだけど、言われたいと望んでいるんだったら
それを伝えてくれた方がいい。

言葉が少ないことで、相手の気持ちを誤解しているのは
決して女性ばかりではない。
言われたくないのに「好き」といってもらうことが
まんざらではない男性もいる。
言われたくないのに「好き」ともいわない女性を不信がる
男性もいる。

何かこちらが言うと、それを誤解して学習し、その結果
黙する態度に出る人。
聞いてみれば、文句いわれるからその話題は避ける だって。
なんでも話してくれた相手が、そうでなくなった時
距離感を感じてしまう。

だから、私は言えなくなる。
言葉を飲み込む。 まるで、苦い薬を飲む時のように。
そうしないと、相手の話が聞けなくなるから。

心では思っている。
言いたい事、言い合えばいいじゃん。
そりゃ、他人同士だし、育った環境も違うし、異性だし、
いろんな意味で、意見が違って当たり前だと思うよ。
それで悲しんだり、怒りをおぼえたりもするけど。
認めるところは認め、譲るところは譲る、引けない部分はねばる
反撃することもあったり.....それでいいじゃない。
衝突を避けて守っていく関係に本物は感じないよ ってね。

これは大切に思っている恋愛の時だけに思う私の本音。



2002年02月24日(日)
観察



想いを言葉で充分渡す人には不信感を抱き
想いを言葉で渡してくれない人には不満をもつ。
なんて勝手なんだろう。

どちらのタイプを目の前にしても、次のステップは観察。
「本当に私のことが好き? まあまあ気に入ってるくらい?」
「最初の頃に比べてどうだろう。 トーン落ちてない?」

私は相手が自分に興味をもっているかどうかを観察する。
デートや電話の回数はもちろんのこと、
具合が悪い事や、気持ちが不安定だと伝えた時のリアクションや
会いたい、一緒にいたいという思いへの態度など。
例えば、会いたいけど会えなくて せめて声がききたいな と
いう気持ちがあれば電話をしてくるだろうし、
そこに甘い囁きがなくても、その行動に嬉しくなる。
予期せぬ時に、メールが来ると、あっ、私のことを考えて
くれてるんだ と思って気持ちが明るくなる。
これらは、そもそも想いがあるのなら、ふとした時に
いつも心の片隅にその相手が存在するじゃないの? 
という発想から。

いろんなチェック項目がある中で、私が最も重要視しているのは、
スキンシップだろう。
相手に触れていたい、体温を感じることの喜び、これが一番
想いを表現できるんではないかと思っている。
それは、目的が「やる」という事ではない触れたいという気持ち。
これは相手ばかりではなく、自分の中でもそれがあるかどうかで、
気持ちの大きさがわかったりするから。
手や唇の触れあいが、そして抱擁の回数が減っていったとしたら、
想いのサイズが少しづつ変わっているんだな と思う。
それは言葉がないことよりも、寂しさが大きいだろう。

男の人だって、ほんとはわかっているんじゃないかな。
ぎゅっと抱きしめたら、その想いが伝わることを。

「言葉はいらないから、強く抱きしめて」.....まるで歌詞のような。
でも、これに慣れてくると、やっぱり言葉も欲しくなりそうな。(笑)




2002年02月21日(木)
心の痛み



そうだ。
ちゃんと頭の中ではわかっている。

ちょっとした不安で心がズキンと痛んでも
そのことは内緒にしておくしかない。
伝えた所で良い結果になったことないし。

ふ〜んと平気なフリして聞きながら、実はショックを受けている
ことは数多く、そんな時、心が狭いよな、私って
と、思ってみても、その痛みが和らぐわけではない。

私がズキンときたことを相手が知らないように
相手がズキンときたことを私も知らなかったりするんだ と
自分にいいきかせて
そんなつもりなくても、いつのまにか人を傷つけてしまうこと
だってあるさ と
気分を変える努力はしてみても
感じる心は制御できない。

痛みに耐える? それとも慣れる?
恋愛にはつきものの感情だよ と割り切る?
考えてみたところで、気休めにしかすぎないな。
どんな言葉を並べてみても、受ける衝撃は同じなんだ。

私は知っている。
「アイツは私のことが好きでたまらない」
そういう思いに あぐらをかいていられる時
不安に思うことはなく、心が痛むことすらないことを。



2002年02月19日(火)
告白



「好きです」と「つき合って下さい」というのは、
同じ告白なんだろうか。
それとも、セットもん?
「好きです」だけだと自分の想いを伝える行為で
「つき合って下さい」は、相手に求めることになる。

小学生の頃「好きだよ」と平気でいっていたような気がする。
でもその後は「つき合ってください」の方が多かったように思う。
学生の頃は、「つき合う」という宣言からスタートしていた。
「好き」だから告白したつもりだったけど、その大きさといったら
今思えば、大小さまざま。
受ける側も「好き」という感情までいかなくても、
「気に入っている」もしくは、つき合う(彼女、彼氏ができる)
事に対する好奇心から、簡単につき合う事があった。

告白の方法は、呼び出しを筆頭に、電話や手紙。
やっとの思いで、相手にゥ分の気持ちを伝えたドキドキ感は、
かすかに記憶がある。
私の場合は、やはりつき合うことが希望であり、
例えば、卒業式の日にそれまでの想いを告白.....
ということは考えられない。
その当時の私の「つき合う」とは、学校帰り一緒だったり、
ふたりで遊びにいったり、プレゼントの交換があったり.....
きっと、思いを伝える事が第一の目標ではなく、
デートすることが目的だったんだろう。
一方的に想いを伝えるだけでは満足しなかったのかな。

やがて社会人になり、この告白という行為が減ってくる。
まずは、食事にいったり、遊びにいったりがきっかけで、
そこで2人の間に特別な感情が生まれてきたら、
自然につき合う形へと路線変更していたように思う。
きっと、その頃から「つき合う」という言葉に、学生時代とは
違った意味が含まれてきたのかもしれない。
体の関係をからめることにより、取り扱いが難しくなって
いったように思う。
相手に好きだという感情があり、自分には まだそれがなく、
そんな形でつき合いだして....あってもおかしくない
始まりだと思うが、そこで相手の望む結果にならなかった
場合は、「本気ではない」と取られることもあって。

2人の間で、何も始まっていない告白の場合、
受けた側は「ありがとう」の言葉だけでは済まない。
断るにしても、受け入れるにしても、返事を出さなくては
いけないだろう。
それを怠ると、不誠実の烙印を押されかねない。
告白が、いつも受け入れられるわけじゃない とか、
お互いの気持ちの温度が違っていても不思議じゃない
と思うんだけど。
待っている告白、頭になかった告白、できれば受けたくない告白、
告白する側も勇気がいるけど、受けた側も返事は大変だ。

私が思う告白は、きっかけ作り。
だから「つき合ってください」が先かな。
きっと「好き」という気持ちが不安定なままでも走ってしまう。
好きじゃないのに つき合う?
いや、そうではないんだなぁ。 
もちろん自分の中では好きなんだろうなと思っていても、
相手に「好き」と伝えるには、まずつき合ってみてからでないと
その想いの大きさがわからないから。
つき合っていく中で、ゆっくり自分の気持ちを再確認しながら、
「やっぱり好きだな」と思った時に伝えたい。
そして、相手の気持ちが自然に近づいてくるのを待ってみたい。
「好きだよ」と求めなくても口にしてもらえる日まで。
それまで、待てるかどうかは 別問題だけど。(苦笑)

今の私にとっての「つき合う」ってどんなことなんだろう。
やっぱりデート?
ん〜 結局、学生の頃とあまり考え方変わってないのかなぁ。



2002年02月15日(金)
結婚観



「恋愛相手としてなら、今の彼とは別れているかもしれないな」
今年の秋、結婚予定の後輩が言った。
私は彼女と付き合いが長いので、彼女の恋愛観は大体わかる。
とりたてて特別な才能がないので、いずれは結婚して家庭を
持ちたいと言っていた。

30を目前にした彼女の本音としては、まだ結婚をしたい
わけではない。 今の生活に満足しているから。
結婚すると、そのきままな生活が終わってしまうと思っているのだ。
でも、家庭を持つ、子供をつくるとなるとあまりのんびり
できないと思ったらしく、お見合いをした。
もちろん、恋愛を幾度か繰り返していたが、彼女の思う結婚相手
には巡り会わなかったらしい。

決して三高(古い?)を狙っていたのではない。
条件といえば、並の収入で、そこそこの一般常識のある大人、
そしてなにより、女遊びしなさそう、つまり浮気しないタイプかな。

彼女の思う結婚とは、幸せになるために ではなく
家庭を築いていくという、半ば使命感のようなものらしい。
それによって、自由な時間を奪われ、金銭的な拘束が生まれる
ことは覚悟しているようだ。 嫌がってはいるけれど。
どこか男性的な考えだと思うのは私だけだろうか?
以前にある男性から聞いた事がある。
自分の人生設計から逆算して結婚する時期を決めた と。
後輩も似たような事を言っていた。
彼が好きだから結婚するのではなく、結婚するために、その
相手に彼を選んだそうだ。
尋ねられれば「好き」と答えるだろうが、
自ら「彼のことが好き」ましてや「愛している」という感情は
今のところ ないらしい。
多分、20代前半の私なら、この考えを冷めすぎでは? と
思ったかもしれない。
「大恋愛の中、一緒にいたいと思って結婚するのでは?」とか。
でも、今なら、こんなに冷静な気持ちで結婚を語る後輩の
考えにも踞くところは確かにある。
これだけ結婚に取り組む姿勢が出来ている彼女をたのもしくさえ
思う。
結果的には、楽しい家庭が出来ていきそうな気もするし。

当然、結婚式にはよばれるだろうが、「お幸せにね」とは、
言わないように気をつけなくては。(苦笑)

えっ? 私の結婚観?
そりゃ 白馬の王子様が迎えにきてくれる......そんなはずは
ないだろうが、心から愛する人を一番に、
家庭や子供はおまけだと思っている。 
自然に後からついてくる みたいな。
甘いって? はい、承知しております。 m(_ _)m



2002年02月12日(火)
すれ違い



気持ちがすれ違っているな と感じたら
その原因は何だろうと振り返ってみる。
何かあったかな とか 何かしでかしたかな とか。
はたまた 冷めた? とか。

それが自分に全く問題がないと思い込んでいる時は、
相手の態度が不思議で、じっと顔を見ては観察してみる。
思いや怒りを表に出したら、こちらにも伝わるんだけど
それを飲み込んでしまわれると、何やら態度が違うのはわかっても、
その原因をつきとめるのは難しい。
わからないままでいるととても不安になってくる。
それが勘違いであることも多々あるようだが。

もともと、飲み込んでしまうタイプの人は
ちょっと つついたぐらいでは 吐かない。
それでも時間をおいて話を聞いてみると、それは自分が 
あまり気に止めていなかった出来事が引き金だったりする。
そう、あの時も。

幾つか気にいらないことが重なった。
そして、 ある出来事をきっかけに私は言葉をぶつけてしまった。
相手は、ぶつけられたことを境に、気分を害した。
でも、私はぶつけてしまったことをすぐ反省しなかった。
なぜなら、その出来事だけで私がそうなったのではない! と
いう思いがあったから。
相手は、出来事の後、それとは別に幾つか不快なことが
あったらしい。

考えてみると、相手は出来事の前の私の気持ちに気付かず、
私は出来事の後の相手の気持ちに気付かなかった。
私は、最後まで相手の気持ちをわかることなく、
最初に感じた「すれ違ってるな」という思いを
引きずってしまった。
相手は出来事からその先、やりきれない思いを
引きずったに違いない。
ということは、気持ちがすれ違っていたんではないんだよな。
確かに、私にしてみれば私の言い分ってものが あったけれど、
それを相手は知らなかったわけで、突然の私の攻撃に
戸惑ったかもしれない。
その出来事の前後に、それぞれが違った思いを、
しかも誤解に近いものを、胸に秘めていたことになる。
お互いの表現や言葉が足りなかったのが良くないんだろうけど
私がそれを素直に表せなかったように、相手もそうだったんだろう。
気持ちのすれ違いではなく、ただの思い違いのようで。

事のすべてが理解できた時、やっと私は反省した。
自分の勝手な思い込みで、相手を傷つけてしまったと。
相手のことを想うあまりの結果だと言い訳したい気持ちは山々だが、
この勝負、どうも私の方が分が悪い。
最初に誤解したのも攻撃したのも私の方だから。
出来事の後に相手の心にあったであろう もどかしさを
感じ取れなかったから。
「ごめんなさい」
 
あやまっておきながら、なんなんだけど、 沈黙されると つい
つつきたくなる気持ちも あるんだよなぁ。
悪いクセだけど。(内緒)
こんなんじゃ、繰り返す?(苦笑)




2002年02月09日(土)
結局



楽しいことがあると その瞬間がとても心地よく
一区切りついた直後は、しばらくその余韻が残り、
いい気分でいられる。
でも、それから日が経つにつれ、そのいい気分が薄れていくと
楽しい事があった以前より 寂しさは増す。
初めは そんなことは気にもとめず
まだ楽しい日々に慣れていなくて
楽しい日が終わると、次に訪れるのを何の不安もなく
心待ちにする。

この楽しい日と普通の日を繰り返していると
そこにある自分の気持ちを予測できてしまうようになる。
楽しい時間は、期待すればするほど待ち遠しく、短い。 
それを知りながら、終わるとまた次の楽しい一時を待ってしまう
自分の寂し気な姿。
繰り返されることによって学んでくる、ごく当たり前のことに
心が痛む。 
そんな、やりきれない想いと溢れる想いを両手に抱えつつ
元気になったり、沈んでみたり、感傷にひたってみたり。
嬉しさと同時に、不安と怖さを感じている自分が見えてくる。

でも、やめられない。
感情の乱れに悩まされながら、息切れしそうになっても
たとえ、先が読めていたとしても、私は想いをとめられない。
その大切な存在を私が体中で求めている限り.......あれ?

もやもやした気持ちを懸命に言葉に置きかえながら、
ここまで書いてみたけれど、なーんだ、結局こんなこと?
自分で求めているんだから、乗り越えないといけないでしょう。
「惚れているのなら」と誰かのつっこみが聞こえてきそうだ。
書き始めの、どんよりとした自分の心がすっきりしてきた。
なるほど、これを書いたおかげだ。
でも、随分エネルギーを消耗したように思う。




2002年02月05日(火)
仲直り



男と女が喧嘩を始めると、意見があわずに言葉をぶつけあいながら
そこに感情がまじり、ただのお話し合いではなくなって、
終いには感情のぶつけあいになる。

女は、その問題点を、何が気に入らないのかを、
相手に伝えようとする。
それを聞いている男は「じゃぁ どうすればいい?」と
話を終わらせたい一心で結論を急ぐ言葉を発する。

女にしてみれば、すでに問題は発生しており、
それに対する男の態度に不満があるわけで、
そして、それがなぜかを説明しているだけだ。
結果なんて、どうでもいいのさ〜
別れ話じゃないんだから。

そう、結果はどうでもいい.....
私はよくいう。「どうしてほしい といっているわけじゃない」
ということは、結論を求めて、言い合いをしているわけではないんだ。

整理してみた。
お互いの意見、そして、お互いが相手の意見について どう考えるか。
その結果、全く交わる事のない話であることに気付く。
どちらかが、相手の意見を受け入れたらいいんだろうか?
いや、もともと真っ向から意見の違うものを同じ箱には入れられない。

では、この喧嘩を終わる方法は?
私は、降りた。 相手の「ひいてほしい」の一言で。
そのまま、ひっぱっても 解りあえる方向にいくはずがない
ことを予感したからかもしれない。
相手の言い分も聞いた。 私も言いたい事を伝えた。
お互い譲れなければ、話をここで終わらせることを選んだ。
感情的になって、話題が本題からそれて、
重い空気に押しつぶされそうになり
そこから逃げ出したくなることだけで頭一杯になって、
それこそ、「ぽいっ」と、したりされたりする結果になるなら
喧嘩する事が無駄になる。

喧嘩をしないようにするのではなく、
その喧嘩の目的が別れのためではないのなら
それが結論の出にくい話し合いだと先が読めたなら
あえて泥沼状態に持ち込むことも ないさ、
2人の時間を大切にしたいから.....そう思った。

降りてみて、わりとすっきりしている。
なるほど、こんな喧嘩の終わり方も悪くない。
ただ、私の行き場のない思いは残ったままだ。
私が相手の行動にショックを受けて、涙をポロポロこぼした事実。
さて、これはどうしよう.....
優しく抱きしめてくれたら、チャラにしようかな。