2020年04月30日(木) |
子ども達は学んでいる |
学校休校が続く日々で、多くの学校関係者や保護者は危機感や不安感をもっている。
しかし、子ども達は「この日々」からちゃんと学んでいる。学ばない訳がない。 大人たちが口角泡を飛ばして喧々諤々言ったり、ため息をついたりしている脇で、息をひそめて、見たり、聴いたり、考えたりしている。
きっと、幼児期の子どもであれば、親の表情や、変化した日常生活への違和感から。 学童期の子どもであれば、「感染」「コロナ」という言葉や、増えていく数字のグラフ。人が死ぬということ。防護服というのはどういうものか。世界のどこで今、何が起こっているのか。 中学生や高校生になれば、自然科学、政治、経済、社会、芸術文化などあらゆる観点でこの出来事をより詳しく理解できるだろう。疑問点を解消するための情報収集や、自分なりの考えを提示できる子だっているだろう。東日本大震災の被災経験のある子なら、より深い洞察も加わるだろう。 そうして学んだものから、自分達はこれからどうやって生きていけばよいかについて、ぼんやりと、あるいは真剣に考えるだろう。 学ばない訳はない。
私たち大人達は、見られている。 全世界をとりまくコロナ禍がどのような出来事であったのかを検証するのは、おそらく私たち「今の大人」の仕事ではない。仮に数年後に誰かが「終息した」と宣言したとしても、それは間違いであり、意味するとしたら「経済の仮復旧」程度だろう。全てが終息し、あるべきものがあるべき場所に収まるか、新しいものに置き変わるまでにはもう少し待たなければならない。冷静にこの事態を検証できるのはさらにその先だ。 子ども達は、その時の検証メンバーに「コロナ禍を経験した証人」として参加するだろう。そして尋ねられるだろう。「一体どんなことがあったのですか?」と。 自分の学校が休校になったこと、卒業式や入学式がとりやめになったこと、親が仕事を失い生活が苦しくなったことを語るかもしれない。あるいは大切な家族を感染により失ったという話をするかもしれない。また高校生だった人なら、当時の政権がどのような政策をとったか、新聞やテレビ、ネットがどのように情報発信していたかを語るかもしれない。 いずれにせよ、今、私たち大人がやっていることを基に、子ども達による振り返りが行われ、「どうだったのか」が判断される。新聞でしばしば目にする「戦時中をふりかえる」ようなコンセプトで、写真入りの記事や映像にもなるだろう。 話を子どもの休校措置に戻すと、その時に、誰か一人でもよいから、「先生方は、コロナ禍でも「子ども達の学ぶ権利が損なわれないように」という一生懸命な気持ちで学習方法を工夫したり、元気でいるか電話で様子を聞いてくれた」という大人の態度があったことを後世に伝えてくれるといいなと思うのである。コロナ後の見えない世界で「学ぶことの持続可能性」と向き合う時、「計画通りに授業が消化できなかった」ということは、その次かその次の次ぐらいの出来事だと思っている。
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