浅間日記

2014年01月25日(土) 幸福の追求か あるいは楽しさか

「しあわせなふくろう」という絵本。

オランダの民話である。

ふるくて、くずれかかった いしのかべの なかに、
ふくろうの ふうふが すんでいました。

二わのふくろうは くるとしも くるとしも、
とてもしあわせに くらしていました。

すぐちかくには、ひゃくしょうやが あって、
いろいろなとりたちが、かわれていました。

このとりたちの かんがえるのは、
たべるのと のむことばかり。



始まりはこんな感じ。
チェレスチーノ・ピヤッチ氏の描くふくろうや鳥たちの姿が美しい。
はっきりしたラインは、いかにもオランダの作家らしいと思う。

鶏やガチョウやアヒルは、食べることと飲むことしか興味がなく、
腹いっぱいになると、互いに争い始めるのである。

ある時、どうしてあのふくろうの夫婦はケンカをしないのだろうか?と
疑問に思った鳥たちは、フクロウ夫婦に教えを乞いに行く。

フクロウは、静かに語りだす。

私たちは、季節ごとにうつろう自然の中で
自然とともに生きる喜びを感じている。
−ここのところの文章と絵が、また実に美しいんである−

そうだから、しあわせで、やすらかな気持ちでいっぱいなのだ、と。

鳥たちは呆れ、馬鹿馬鹿しい!と一蹴する。

そんなことより、見せびらかしたり、食べたり飲んだり、
争っている方がいい!と、帰っていく。

鳥たちがやかましく帰って行った後、ふくろうの夫婦は
「そっとからだをよせあって、おおきなめだまをぱちぱちさせる」と、
再び幸せな物思いに戻っていく。

こんな話だ。



一回目は、ふくろう万歳、と思いながら読んだ。
二回目も、ふくろうでありたい、と思った。

三回目に、でも、もしも誰かに「鳥で何が悪い!」と言われたら、
それはそう思ってしまうかもしれないな。と思った。

五臓六腑にしみわたるものをワイワイと喰らい、
自分達はまったく馬鹿だね、と言いながら、

時に自慢したり、人をやっかんだり、
泣いたり笑ったりケンカするのが、人間というものだ。

幸福というほどの上品さや深みはないが、
−それに私も聖人君子を気取りたいのであるがー

悲しいかな、多分そっちのほうが楽しいだろうなあ、と思ってしまうのである。

2011年01月25日(火) 無視される駅
2009年01月25日(日) 危機と免疫
2007年01月25日(木) 
2006年01月25日(水) 
2004年01月25日(日) 国民総ガス抜き表現者


 < 過去   INDEX  未来 >


ipa [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加