一昨日から、北信州で山のお仕事。単独である。 台風で荒れた林道を、ひとりガタゴト走る。
一人で山へ入ったが、孤独ではない。 林道のあちこちに、キノコ採りの車。
杖をついたご老人が、クマザサの中から現れたから驚いた。 自分の乗ってきた車を見かけなかったか、と尋ねられる。 どうやら、森から抜け出たはいいが、乗ってきた車を停めた場所を見失ったようだ。
ちょっと車で見てきてあげますよ、と言い残し、 カーブを一つまがったところに、軽自動車が留めてある。 ありましたよ!と大声で伝えたら、聞こえたのか手を振っている。
やれやれだ。
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キノコ採りで山に入った高齢者の遭難ニュースは、 秋の長野県では日常茶飯事である。
あの人も危ないなあ、と思いながら林道を下るうちに、ふと思った。
ご老人達は−少なくとも私が会ったあの足の悪いご老人は−、 このまま山で命を落としてもかまわない、と思っているんじゃないだろうか。
それを自覚しているにせよ、潜在的にそう思っているにせよ、 山で何かあったらそれまでよ、との覚悟を受け入れているのではないか。
そう思うほどに、北信州の森は深く優しい。
ブナやミズナラの巨木が静かに屹立し、草木も鳥も獣も虫たちも、 数多の生き物たちがあるがままの生と死を繰り広げている。
生きとし生けるものはみな等しく静かに命を終わっていくことを リアルに目の当たりにするこの場所で、齢を重ねた自分の一生が幕を閉じるのならば、 それは無念ではなく喜びなのではないか。
よくわからないが、今日そう思ったことは覚えておこうと思う。
2007年10月18日(木) 2006年10月18日(水) 2004年10月18日(月) 管制塔は象牙の塔
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