浅間日記

2013年10月18日(金) 姨捨考

一昨日から、北信州で山のお仕事。単独である。
台風で荒れた林道を、ひとりガタゴト走る。

一人で山へ入ったが、孤独ではない。
林道のあちこちに、キノコ採りの車。

杖をついたご老人が、クマザサの中から現れたから驚いた。
自分の乗ってきた車を見かけなかったか、と尋ねられる。
どうやら、森から抜け出たはいいが、乗ってきた車を停めた場所を見失ったようだ。

ちょっと車で見てきてあげますよ、と言い残し、
カーブを一つまがったところに、軽自動車が留めてある。
ありましたよ!と大声で伝えたら、聞こえたのか手を振っている。

やれやれだ。



キノコ採りで山に入った高齢者の遭難ニュースは、
秋の長野県では日常茶飯事である。

あの人も危ないなあ、と思いながら林道を下るうちに、ふと思った。

ご老人達は−少なくとも私が会ったあの足の悪いご老人は−、
このまま山で命を落としてもかまわない、と思っているんじゃないだろうか。

それを自覚しているにせよ、潜在的にそう思っているにせよ、
山で何かあったらそれまでよ、との覚悟を受け入れているのではないか。

そう思うほどに、北信州の森は深く優しい。

ブナやミズナラの巨木が静かに屹立し、草木も鳥も獣も虫たちも、
数多の生き物たちがあるがままの生と死を繰り広げている。

生きとし生けるものはみな等しく静かに命を終わっていくことを
リアルに目の当たりにするこの場所で、齢を重ねた自分の一生が幕を閉じるのならば、
それは無念ではなく喜びなのではないか。

よくわからないが、今日そう思ったことは覚えておこうと思う。

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