2011年04月24日(日) |
東日本大震災 津波の子 原発の子 |
東京電力福島第一原発の事故を受け、文部科学、厚生労働両省は19日、保育園や幼稚園、学校活動での放射線量の安全基準を発表した。
内閣府の原子力安全委員会によると、基準は、児童生徒の年間被曝(ひばく)線量の上限を20ミリ・シーベルトとし〈1〉現在の放射線量が今後も継続〈2〉1日の屋外活動は8時間〈3〉残りは木造家屋内で過ごす――との想定で算出した。年間20ミリ・シーベルトは計画的避難区域の設定基準と同じで、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を基にしている。
というニュース。
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年間20ミリシーベルトというその基準は、感受性の高い子どもに適用するにはあまりにも高すぎるという声があがっている。
子どもを公園で遊ばせられない、と不安がる母親のコメント。 原発被害地域に暮らす幼子や小学生の写真を見るたび、苦しい気持ちになる。
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津波の被害地でもそうであるが、東北の子ども達は、これからは国の宝だ。
50年後あるいはそれ以降まで、「生き証人」として千年に一度といわれる規模の地震そして津波の経験を語ることができるのは、世界中でこの子達だけなのである。
100年後の子孫達が、長老となったこの子ども達の話に、真剣に耳を傾けるだろう。 上手くいけば、次の大津波に遭遇する子孫達へ、じかに経験と戒めを伝えられるかもしれない。
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人間の経験は、総合的に、感情を伴って記憶され、物語性をもつ。 それは、100年、200年といった時の流れに伴う風化に対して強靭な耐久性をもつ。
映像記録がどれほど優れていても、解析技術が最新化されようとも、 実際に見聞きした証言以上に説得力のあるものはない。
津波が襲ってきてどんなに恐ろしかったか、どこをどうやって逃げたのか、 家族や友達はどうなったのか、避難所でどんな暮らしをしていたのか、 誰とどんな会話をしたのか。
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原子力発電所の事故も同様である。
そうだから、原発から何キロだの、計画的避難区域だのの指定にかかわらず、状況で変更される国の基準などあてにせず、高い濃度の放射性物質が検出された地域の子ども達は、生き続けることを最優先にして、遠くへ逃げてほしい。
逃げのびて、必ず生き続け、成人し、家庭をつくり、子や孫を残していってほしい。
そして、小さい頃に経験した、全世界を震撼させたこの未曾有の事故の経験を、 膝の上の孫に語るじいさんばあさんになってもらいたい。
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自治体や地域に暮らす親の集団しか、もう子ども達を守れない。祈るような気持ちでいる。
2006年04月24日(月) コンセンサス
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