2011年04月19日(火) |
東日本大震災 過度な自粛への牽制 |
消費せよ、復興のために!というスローガンが街をいく。 「過度な自粛は控えよう」とメディアが強調する。
自粛という言葉に違和感を感じる。 その上、ヒステリックに繰り返される喧伝に 「消費強制」の気配すら感じてうんざりする。
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立派な家を建てても、高級な車を買っても、ぜんぶ津波がさらっていった。
私達が共有する心境は、「過度な自粛」などではない。 「そんな気になれない」という、極めて能動的な心の発露なのだ。
無理やり財布をもたされ、首根っこをつかまれて、店頭に連れて行かれるいわれはない。
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何事もなかったかのように、今までの消費生活を繰り返す気にはなれない。
けれども、一方で、今回の震災やこれまでの自然災害をとおして、 私達は、お金は意思の表れとして「役に立つ」ということもわかった。
人を支えたい、地域の力になりたいという気持ちを、購買行為で実現できるならそうしたい。 その誠意は正当なもので、尊いものだ。
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だからこそ思う。 お金を大事にしなくてはいけない。無思考に消費してはだめだ。 氏素性のよくわからないものにお金を渡すのは危険でさえある。
商品を買う時に支払ったその金が、誰の手にわたりどう役立てられるのか、よくわからないものは、極力買わないことだ。お金がもったいない。 今ならできる。
そして、叶うならば、自分のお金が、大きな経済を動かす一滴になるのではなく、 顔の見える地域の誰かを支えるいくらかになる、と実感できる買い物ができたら、それは嬉しいではないか。
被災地の産品を買う人達の、その心境のように。
2010年04月19日(月) あなたの言うことはまったく事実だと思うが、別に何とも思わない 2007年04月19日(木) 2006年04月19日(水) 2004年04月19日(月) 駄考の日
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