浅間日記

2011年03月07日(月) 誰もが気づいているが、誰もが小声で言う話

週末の続き。


発表者の色々な話を聴いていると、ひとつの傾向に気づく。

とても大切な事実に誰もが気づいているが、誰もがそれについての自分の考えを小声で言う。話のおまけのような感じで。

それは、人間はいかに生きるべきか、とでもいうようなことである。



大きな制度やシステムは確かに社会の物事を大きく変え、支配する。
けれども、それだけでは人間は生きていかれない。

人間社会がどうやって持続していくかを考える時には、
「それだけではない部分」について必定考えが及んでしまう。
だから、みな小声で告白するのかもしれない。



制度やシステムが肥大化すると、人間はイマジネーションやパッションを失う。
個として太刀打ちできないからである。
そうしてイマジネーションやパッションを失った人間の集団は、やがて力を失う。そう思う。

また、制度やシステムは、自己否定できなくなるという脆さがある。
その事例は、いくらでも挙げられる。それらの制御不能になったシステムのいくつもが、破綻や大事故という結末に至っている。

制度やシステムが高度化した社会は、人間の管理できないものやままならない出来事に対して、極めて脆弱になる。
矛盾ややりきれなさをのみこむことができず、極度の無理をしたり絶望してしまう。



小手先のことでは、難しい。
一つひとつ、こんがらがった紐を解くようにいかなければならない。

2010年03月07日(日) 母か娘か
2007年03月07日(水) honey beeその2
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