長野県下諏訪町の諏訪大社下社で開かれている御柱祭で、柱(高さ約17メートル、周囲約3メートル)を垂直に立てる「建て御柱」の最中、柱に乗っていた氏子の男性3人が十数メートル下の地面に落下した。というニュース。
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全国ニュースで報道されていたから、驚いた。
衝撃を演出するマスコミによってこの祭りが氏子や神社から引き剥がされていく。 祭りの精神性は、責任の所在とか、安全確保を怠ったとか、およそ似つかわしくない言葉によって損なわれていく。
かくして翌日継続された祭りの様子は、すっかり魂の抜け落ちたものになってしまっている。
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建御柱から人が落ちたことを決して是認するわけではない。
けれども、御柱祭のことを理解しない人間によって騒ぎ立てられ、 今後の祭の在り方が定義されようとしていることに、深い違和感を感じる。
精神性を損なわれた祭りは、ただの集客装置に成り果てる。 饐えた、嫌らしい無責任な盛り場の臭いを発し始める。
そして、祭りを失い精神の行き場を失った人々は、ある部分で心が死んでしまう。 精神文化とは、そういうものである。
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今回の残念な出来事があっても、御柱祭はそんな無表情な公共行事になってほしくないし、 諏訪の祭りのことは諏訪の人間の好きにさせ、よそ者がとやかく言うべきではないと、私は強く思うのである。
2007年05月08日(火) 2006年05月08日(月) 教育騒乱 2005年05月08日(日) Ping9
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